見出し画像

制服のスカートも嫌だった私が美容系サークル代表になったわけ

いきなりですが。少し想像してみてください。

社会や周りの”当たり前”であなたの好きなものを価値づけ、否定されたら。
あるいは普段と違うスタイルで誰かに会った時、笑われ冷やかされたら。

あなたは何を感じますか?

皆さんが今抱いたその感情。
そこに私が美容系サークルをつくった原点があります。

1、はじめに

初めて会う人に自己紹介をするときに、
私が、美容系のサークルを創設して運営をしていることを話すと、
みんな軽い感じで「見た目も美容とか好きそうだしね〜」とか、
美意識高そうだもん〜」と、反応してくれます。
実際に私は今メイクやファッションを楽しんでいるし、
美容に関連する事業をしたいと考えています。
もちろん周りからそう思われることは嬉しいし、意識も高まります。

しかし私がここで伝えたいことが、
決して、私が周りに美容が好きそうと褒められたということでも、
昔から美容に興味があって始めました!というような、
一種の間接マウント取りのようなことでもありません。

むしろ、私は「美容に対する拒否反応に近いものさえあった」ということ、そしてその経験から得た伝えたい強い思いがあるということです。

この記事を読んで少しでも私の、サークルを立ち上げるに至った思いや、その経験を知っていただけたらなと思います。

2、”かわいい”への嫌悪

画像1

私は3人兄弟の末っ子として生まれ、2人の兄に”鍛えられて”育ちました。
母は小さい頃から私に可愛らしい服を着せていましたが、
私は服装だけは上品なものの、遊び盛りの兄と野球をするのに夢中で、
プレゼントされたシルバニアセットを見て「何が楽しいの?」と
母親に聞き、ぽぽちゃんの髪の毛を鷲掴みして振り回すし、アンパンマンだって大迫力で描き表す。
そんな”元気”な少女でした。

そんな少女はピンクという色が苦手で、
記憶は曖昧ですが、ランドセルも黒がいいと言い張っていたそうです。
自分で服を全て選ぶようになった小学校高学年の時には、
フリル、レース、ピンク、スカートはいやだ!と言い張り
ボーイッシュな服装を選びました。
無意識のうちに自分のキャラに合うものを選んでいました。

その一方でバレないように家にあるスカートを履いてみたり
ヘアアレに挑戦してみたりと”かわいい”に関心を持ち始めてもいました。
しかし、当時、私はよく食べる少女だったので体も大きく、
放課後も男の子たちと遊んでばかりいたので

自分のキャラには合わない。

と無意識のうちに感じとり、家族にも
”かわいい”ものはいやだ。と言い続けました。

2、変化へのトラウマ

迷彩柄

そんな私も小学校6年生の時、一度だけ勇気を振り絞って
スカートを履いて登校した日がありました。
忘れもしません。迷彩柄で裾に小花柄のフリルがついた、
知り合いから海外のお土産でもらった限定スカートでした。
周りの子は普通に履いているスカートを
私は着ていくだけでドキドキしていました。

事件は音楽の時間でした。いつも仲良くしている男の子に
急に、「お前どうしたの?」とニヤニヤしながら言われました。
私はなんのことかわからず聞き返すと、
「なに急に可愛いい子ぶってんだよ〜」と茶化されました。
もちろん彼は、いつもの茶化し合いの流れで言っただけだと思います。
そして私も怒りもせず、笑いながら「なんで履いてきたんだろうね〜」と、
とぼけて終わりました。そこまで傷つきませんでした。
やっぱそうだよね〜と感じていました。

ただ、その日以来、私はそのスカートを触ることはなくなり、
無意識のうちにスカートを履くことに対し”私は似合わない”という
強烈なイメージを抱いていました。
その結果、中学の制服がスカートであることも嫌になりました。
それから「変化する」ことへのハードルは、より一層高くなりました。

3、イメージからの脱却

私は中学に進学すると、小学3年から始めていたバレーボールを
部活に加え、クラブチームにも所属し本格的に力を入れていました。
そのため髪の毛はとても短く、美容院では襟足というレベルの会話を
していました。そんな私には、メイクや”かわいい“ファッションなどはかけ離れたジャンルでした。

しかし中2の時、私も友達や先輩に”つられて”ギャルメイクをするように
なりました。実際”つられて”というのは言い訳で、ギャルメイクをして
”かわいらしく”なった自分が好きでした。
そして昔から私を知る知人は陰で私の噂をしたり、
私が変わったという話をしていました。最初は周りの目を気にして
言い訳をしたり、隠したりしていました。
私はメイクをしていることを母にも言えませんでした。

全くおかしなことです。

自分の好きなものを好きだと言えず、
好きなものにテキトーな理由を作り上げ、こそこそ隠れているのです。
私はすごく変化することを恐れていました。変わった自分は周りから拒絶されてしまうのではないか。そう思っていました。

そして私は中3になりバレーボールを引退し、自分が何をしたいのかがわからなくなりました。そして私は母親の反対を押し切り、中3の10月に塾をやめ勉強もせず、好きなもの”メイク”に没頭しました。
そして次第にコミュニティが変わりました。誰も私の変化を否定する人はいませんでした。

画像2

そしてやっと私はあの”スカートを履かないメイクが嫌いな女の子”という過去のイメージから完全に脱却し、自分の好きなものを好きだと堂々と言えるようになりました。

やっとでした。

4、「私」の原点

画像3

高校に進学した私は友達や先生たちにも恵まれ、青春を謳歌し、この3年間は好きなものにたくさん触れ、自分に素直になれた時間でした。
もう誰も私がメイクをしても、系統を変えても笑ったりバカにする人はいませんでした。変化を楽しむことができました。
高校では美容が大好きな、ダイエットに詳しい陽万里。
そんな私がいました。
そして、私はこの貴重な高校時代の3年間の中で
ただ漠然と美容業界に進みたいという思いから、
明確な目標へと変わっていきました。

もっと美容を楽しめる、変化を楽しめる機会を提供したい。

と、そう思うようになりました。

そして、周りから自分を隠し、自分自身をも偽ってきた
そんな私の10年の経験から得た、この強い思いが

”今”の「私」の原点であり、BONITAの原点です。

5、”普通”のもつ脅威

私は高3になり、付属の大学には進まず一般受験することを決意しました。
とにかくたくさんの経験をしたくなりました。しかし、ろくに高校は勉強しなかったので”ビリギャル状態”で、浪人もしました。
私はふと思った時もありました。
中3の時、もしあのまま進学校に入学していたらと。
でも、自分の選択に後悔は全くありませんでした。

むしろすごくワクワクしました。自分の意志で、納得して選択し、知らない世界を経験し、“勉強”の大切さを感じている。
そして、人の痛みをしることができた。と、身にしみて感じられたからです。

私の選択はもしかしたら”普通”ではないかもしれません。
でもその”普通”は誰が定めているのでしょうか?
社会の”普通”は指標の一つになり得ます。
しかしその”普通”という固定概念は完璧ではなく、正義でもありません
自分の中の”普通”というものさしで、誰かの”好き”を否定することは
もう少し慎重になるべきことだと思います。

私自身、自分の固定概念やイメージで物事を批判していたことに、
気づいていたつもりでも、気づききれていませんでした。
”普通”というものの力が強すぎる。
それは知らず知らずのうちに、自分の価値を脅かしうる恐ろしいことだ。
そう感じています。

6、最後に

私がここで伝えたいことは、変化を強要することではありません。
何か新しいことに挑戦したいときに、周りの目を気にしてしまう人の背中を押すきっかけになれたら。
そしてそのような人たちに対して、自分のものさしで批判的な意見、行動を行なっている人たちが、自分の言動を省みるきっかけになれたら。
そんな思いを伝えたくて、執筆しました。

BONITAを立ち上げてから物事の視点を意識して、見るようになりました。
BONITAは、その価値観を伝えるための媒体でありながら、
その活動を通して、自分自身にも伝えてくれる媒体でもありました。
自分の不甲斐なさを感じる時も多くありました。美談ばかりではありません。

でもそんなたくさんのことに気付ける機会を、自分たちで作り出せた。

私を茶化した友達や話のネタにした人、
見捨てずに全力で理解しようとし、応援してくれた家族
私を好きになってくれて支えてくれたたくさんの友達
BONITAに関わってくれた人たち
そして何より、突っ走る私を支えてくれているBONITAメンバー

こんな貴重な機会、経験をくれた全ての人に感謝の気持ちでいっぱいです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?