コミュニティの開放・閉鎖

最近感じたコミュニティのオープン、クローズについてのたわごとを書き留めておく。備忘的な記事なので文章分かりにくいうえに特に正解が見つかったわけでもないので読んでも得られるものはない。と思う。

最近バーにハマっている。

バーはコミュニティについて考える題材に非常に向いていると思う。
コミュニティはオープンである方が良い、というのは昨今の世間のイメージかもしれない。コミュニティラウンジ、コミュニティセンターなどの作りにも、外から中が見えるようなハードや、作るプロセスを開放し誰でも気軽にお越しくださいとの文言が並ぶ。
京都でチェーンのバーに入ってみたことがある。きちんとカウンターがあり、体裁は整っていてお酒もそろっていた。
ただ、非常に珍しく、外から中が見えるような作りになっていた。つまりハードとしてはオープンな作りになっているのだ。バーは往々にして入り口の扉を開けてもカウンターが見えないで通路がつくられているようなクローズドな作りをしていることが多い。入るにはすこしためらわれるような雰囲気になっている可能性もある。
コミュニティに置き換えるなら、外から中が見え、オープンな雰囲気のほうが良いのではないかと考えられるのも分かる。ただ、チェーンのバーでは僕が入った15分後に11名の団体来店があり、居酒屋のような雰囲気になった。本格的なバーを楽しみたい人にとってはこのオープンさというのは嬉しくない。バー好きにとってオープンさは邪魔でしかないのだ。ハードの作りにより人は多分に影響を受ける。そのことを実感した。

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この間京都に行った。ある会社のコミュニティプラザを外から覗いてみた。
畑違いの僕でも知っているその会社のコミュニティプラザは外から中が見えるよう
ガラス張りになっている。オープンな印象を持たせるためなのだろうか。中が見えたので視線を向ける。守衛さんと受付のお姉さんが目の前の道を流れる人を見ている。
ガラス張りがゆえに、貼ってある張り紙(恐らく施設の紹介)を見ようと思っても中からの視線が気になり足が止められない。

それは、「張り紙をみる」→「興味がないことがわかる」までの間に相手から自分が観察されることや、まして声をかけられると嫌だな、というのが頭によぎるからだろう。
よって、ふらっと入ってみるというのは無理があり、オープンな設計がゆえにかえってクローズドなコミュニティになっている。なんとなく「コミュニティ」と名の付く場所の面構えがウエルカムな設計になっていなかったことに、その会社への残念感を抱きつつその場をそっと離れた。

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以上の2点から、すこし前には「コミュニティをいかに地域に開くか、境界線をぼかすか」ということばかりを考えていたが、境界線をぼかしたりあえて強調したりとデザインすることが望むコミュニティをつくりあげるために必要ではないかという仮説を得た。

WSのようなソフトの設計も、バーやコワーキング(この2つにはかなり類似性が見られる。引き続き酒飲みながら探求していきたい。)などのハード(もちろんソフト面も)の設計も上の仮説を持ちながらこれから取り組んでいければと思う。

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