【最近得た知見vol.1】いのちの重さの境目は環境により後天的につくられる
INDEEGOという藍染の起業のほうですでにnote始めていたのですが、他にも山のようにいろんなものに手を出している安藤です。
INDEEGO関係と分けてnoteを書いてみようと思います。このアカウントでは新たに立ち上げたコワーキングのことだったり、日常で書き留めておきたいことだったりをつらつら書いておこうと思います。
さて、自己紹介でも書いておこうかと思っていた矢先、ちょっとこれは書いておかなければ!というものに出会ったので一本目のnoteはこのテーマで行きます。
『いのちについて』
何か重そう。。
最近読んだ本に、『利己的な遺伝子』という遺伝子学についての本がありました。まあまだ読み切ってないのですが。
内容が非常に濃いうえで、かなりヘビーで(物理的にも)。図書館に通いながら一章ずつ一生懸命読んでおります。
その本では、「個体とは利己的な遺伝子が自らを生存させていくための容器に過ぎない。それはどの生き物でも同じである。環境に適応するための特性をもたせた生き物たちが今日の多種多様な種である。」というような内容が繰り返し出てきます。
これを読んだ僕は、人の行動には何らかの遺伝子がだしているプログラムのような原則があると思い、最近は注意してそれらを考えるようにしています。
と、同時に「いきもの、いのち」というようなものにも興味が出てきました。
そんな中、ひょんなことからたくさんの金魚ちゃんたちを預かることになりました。
それらがやってきた日、環境の変化によるストレスか、1匹だけなくなってしまったのです。
その時に、とても悲しい気持ちになったのですが、この気持ちはなぜ生まれるのかということが少し気になりました。
自分という個体の持つ遺伝子が生き残り、自分を複製するということに金魚の死はみじんも関係がありません。金魚が食べ物になるわけでもなければ、生きていく上での脅威になる訳でもありません。
が、ふと思ったのは金魚を食べる地域があればきっと違った感情を抱くのではないか。
人の感情、行動をコントロールしているのは環境である。
ここで矛盾が生じた気がしました。
人の感情や行動は遺伝子からの命令によってコントロールされているのではなかったか?
しかし本を読み進めると解決。
いわく「遺伝子の命令が個体に反映されるには多くの時間を要する(タンパク質合成のみでしか遺伝子の意思を形にできないため)。しかし、環境による危険等は一瞬である。茂みから毒蛇が飛び出す、そんなときに対応できるよう遺伝子は原則を創っているに過ぎない。」
なるほど、環境に適応していくための原則は遺伝子の管轄、その命令で個体レベルで意思決定ができるようになっているのか。きっとそうなんだな?
では「金魚がかわいい」につながる原則は何なのだろう。
いちばん近い感覚でいえば「愛玩」であると思う。自分の命にかかわらないもので自分の管理下に置きやすい生き物に対してこの感情を抱くようこれまでの生きてきた過程で教育されてきたのではないだろうか。
この状況は遺伝子にとってどんなメリットがあるのか。
そもそも、自分の家族とすら全く同じ遺伝子を持っていない人間の「遺伝子の利己」はどこまで有効なのか。
この辺はまだまだ自分の中で腑に落ちる答えはないですが、ここまでの学びをまとめると、「いのちの重さの境目は、環境により後天的につくられる」だと思います。
そしてこれは命に限った話ではない。他に応用できることはたくさんできるかと。
自分の全然知らない分野の学びはしんどいけど楽しいですね。
それでは!
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