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shinotetsu
27 草に立てば我も草なり螇蚸(ばった)くる
句集「むずかしい平凡」自解その27。
あぜ道というか、草の道というか、そんな草ぼうぼうの道を歩いた時のこと。
あっちゃこっちゃからバッタがはねてこっちに飛んでくる。
ふっつは「あっちこっち」なんだろうけれど、このときはほんとにランダムに「あっちゃこっちゃ」という感じでした。東北の人がこんなふうにこの言葉を使いますね。
で、まったくバッタども、お前ら、おいらのことを草だと思ってるんじゃねえか、ったくよお、なんていう気持ちになりました。
そして、ふっと。
考えてみれば、自分だって草みたいなもんだよなあ、と。草でいいじゃねえか、深いこと考えなくていいし。
そんなふうに思ったらこんな句になりました。
もっとも、この句集の解説(宮崎斗士さんの解説。この解説が実に素晴らしいんです!)にもあるように、「我も草なり」というのは高見順の詩を踏まえています。
我は草なり 生きんとす / 草の命を 生きんとす
とても有名な詩ですし、すばらしい詩ですので、ぜひ一度!
で、そんな詩の一節とも重なり合ってできた次第。
自分を草だと思って飛び跳ねてくるバッタ。ズボンにぶつかるかすかな音。草の湿り。ちいさな命との交歓。いや交感かな。なんだか、わからないけれど懐かしい気持ちにさせられます。
たぶん、俳句の持つ韻律というものが、その要因なんだろうと思います。
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