見出し画像

17 幹を這う蛍よ戦病死の叔父らよ

 句集「むずかしい平凡」自解その17。

 父親は昭和12年生まれの末っ子。戦時中は子どもだったため、徴兵されることはなかった。けれども、父の兄たち、つまり、私にとっては叔父たちはみな戦争に取られ、みな死んでいった。叔父はふたりいたようだけれど、私は名前を知らない。フィリピンで死んだと子どものころ聞いたような記憶。

 後年、父親と話すことがあって、それは戦死は戦死なんだろうけれど、戦病死だな、ということであった。食べるものがなく、ほとんど餓死に近かったんじゃないだろうか。あるいはマラリア。いずれにしても何のために死んだのかわからないような死。

 それにしても、父親が末っ子であったために、戦中戦後を生き延び、ここに自分がいるというのが何か不思議な気持ちになってしまう。そういう偶然というのは、ありがたいことだけれど、しかし、その一方で失われた命もある。

 夏になると、ふっとそんな気になることがあって、たまたま蛍を見て、そんな思いと重なってできた句。

 飛んでいくのではなく、幹を這う蛍。

 無謀な戦争、無謀な作戦の犠牲になった人たち。

 今は、平凡に生きることが当たり前になっているけれど、もういちどほんとうにそうなのか問い直したいものです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?