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ととのいと感謝

「感謝しなさい」

この言葉ほどの無理ゲーはない。

そもそも、感謝とは自ずと沸き起こるものであって、

他者に促されたり、まして無理強いされてすることではない。

しかしながら、どれほど多くの親たちが、

我が子にこんな言葉を浴びせてかけてきたことか。


となれば、この言葉の正体は、

「実際の感想はさておいて、感謝する体を取り繕え」

ということになるのであるが、

それでも綺麗事の大好きな小市民の親どもは、

「そうではなくて云々」と、

屁理屈を並べ立てることになるのだろう。


感謝というものを経験させたければ、

教えてやりたい対象の者に対して、

九死に一生を得る体験をさせてやることだ。

その時に感謝を覚えられるかもしれない。


ところで、特に無理強いしなくとも、

自然に感謝の念が沸き起こるようなシチュエーションというのが、

我々サウナーには存在する。

それは、「ととのい」の中にある。

サウナ室で蒸され、水風呂で冷やされ、

ととのい椅子に座って、外気浴をしている時、

それも、ととのっていなければついぞ感じることのないほど、

微妙にそよそよと吹く風を感じている、その時である。


その時に少し理詰めで感謝を誘発することもできる。

今のこの体験はサウナ施設あってのことである。

地球上の環境を考えてみるとよい。

水が貴重品であるような土地でサウナ施設ができるだろうか?

アフリカの砂漠でどうやって水風呂やシャワーを設置する?

ここが日本であり、旱魃にも見舞われていない今でなければ、

サウナ施設など運営しようがないではないか。

サウナ施設は作れたところで、

その裏でスタッフがどれだけ面倒な作業をしているか、

我々客が目に付くところだけでもどれほどの仕事量があるか。

使い放題のタオルや館内着の洗濯の手間は?

私など、それらを想像しすぎて、

サウナは好きでも、スタッフとして応募はできないでいる。

熱波やアウフグースがいくら気持ち良くとも、

自分が熱波師やアウフギーサーの道に進もうとはしていない。

そんな自分にはできないと諦めていることを、

日々やってくれているスタッフの苦労はいかほど?


ちょっと想像力を働かせただけで、

今ととのっている自分が如何に有難い環境にあるのか、

身に染みて感じそうなものなのだが如何だろうか?

サウナにハマればハマるほど、

ととのいの時間は即ち感謝の時間になってくる。

そこに吹くそよ風の心地よさもひっくるめて、

大自然に感謝してみても良いのではないか?


我が子に感謝を教えたければ、

気長にサウナの魅力を教え込むことだ。

何より、親が感謝の意を表すことだ。

押しつけがましくなければ、

子供はきっと感謝のバトンを受け取ってくれる。

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