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527日ぶりのこんにちは

なんか久しぶりにnoteでも書いてみようかなぁ、と思ってページを開いたら、IDとパスワードの入力を求められた。そういえば去年のお正月に新しいパソコンを買ってからログインするのは初めてかもしれないと気が付き、ずいぶんご無沙汰していたなぁと、改めて思った。

それもそのはず、自分のクリエイターページを開いてみたら、なんと前回の投稿が2022年の8月ではないか。何日経ったのかなと試しに調べてみたら、527日だった。

思えば2022年は、仕事で入社以来初めて配置替えがあり、しかもそれが唐突に起こり、文字通りてんやわんやしていた年だった。前任者からの引き継ぎがほぼ無い状態で仕事をスタートし、関係部署との調整に奔走し、締め切りに追われ…。毎日ごめんなさいと誰かに謝っていたような気がする。日々めまぐるしく変わる状況のなかで必死に息継ぎしながら過ごしていた感覚だった。そんな生活のなかで、いつしか自分の気持ちに向き合う余裕がなくなっていたのかな、と今となっては思う。当時の日記を読み返したら、「くるしい」と書いてあった。ちょうど独楽がぐらんぐらんと回っているような、そんな感覚に近いかもしれない。

それが軸をもってクルクル回り始めたのが、2022年の終わりから、2023年にかけてだったように思う。
転機になったのは、趣味としてバスケを始めたことかもしれない。会社と学校以外の友達ができて、新しい居場所ができた。そこで出会った人と一緒に人生初のバスケ観戦に行ったり、一緒にプレーしたり、時にはおいしいものを食べに行ってみたり。新しい誰かと出会い、そして一緒に楽しむというワクワクが、すごく新鮮で楽しかった。
そうして過ごしていくうちに、忙しい毎日の中でも自分が大切にしたいものが段々見えてきて、そこに時間を割くことの大切さを知ったように思う。毎日を紡いでいくなかで、「わたしがわたしであるために必要なこと」を少しずつ学んでいった、そんな1年でもあった。

そして2024年、今わたしはどこにいるかというと、日本ではないところにいる。パーソナルな部分をできるだけ避けてお話すると、とある国で先生をしている。ちょうど1年前は会社員をしていたので、大きな変化である。この決断も、527日のうちに起こったことだ。

noteをお休みしていた527日間は、自分の人生の中で間違いなくターニングポイントになる時間だった。苦しいこともあり、楽しいこともあり、その中で見えてきたのものがあり、そして今があり。確かに苦しい時間もあったけど、それがあって今があるのだ、と(ようやく)思えるようになった。そしてふと、また文章を書いてみたいな、という気持ちが湧いてきた。

今わたしは、527日前には想像もつかなかったところにいる。新しい生活の中で感じること、思うことを、また少しずつ書いていけたらいいなと思う。


写真は、こちらに来てから訪れた砂漠です。
案内してくれた方が、ここから見る夕日が一番綺麗だと言うので、岩山の一番上まで登ってきました。

宿泊しているキャンプから遠ざかるように砂漠を一人で歩いていると、そのうち砂を踏みしめる自分の足音と、風の音しか聞こえなくなります。足下を見ると砂が風で波模様を描いていて、目をあげると見渡す限り広大な砂漠が広がっています。夕方になると西の空に日が沈んで、反対側からは白い月が昇る。翌朝になるとまた東の空から太陽が昇ってきて、鳥がのびのびと空を飛んでいる。
ここではきっと大昔から、こんなふうに自然が息づいていたんだ。雄大という言葉がしっくり感じられる光景でした。そんな大きな時の流れの中にいると、自分が悩んでることなんてちっぽけに思えてきて、なんとも不思議な時間でした。






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