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嫁姑という関係と、女が嫁に行くという事

多くの場合、女性は結婚すると苗字が変わり男性側の戸籍に入る。
それはつまりこの人と死ぬまで時を共にし、同じ墓に入ると事であり、その人の家族をも含め一緒になるという事だと私は思う。

お盆帰省時に、旦那の実家に墓参りをして改めて実感した。

嫁姑という関係

同じ屋根の下に違う境遇の立ち位置似た女性が2人というのは、時に強い味方になり、時に最も手強い敵になり得る事は女性ならば考える事かと思う。
幸い我が家は旦那の実家が遠方の為、同居ではなく距離がありいい関係が保たれている。と、私は思っている。
さらに、旦那のお義母さんはとても温厚で優しい方だ。旦那もお義母さんは菩薩だと言っているぐらいだ。

田舎に住んでおり旦那の実家で暮らしているという友人は尊敬でしかない。

そして、祖母と同居していた私の実の母もそうである。
今思えば、母と祖母も時にはギクシャクしている時もあったと思う。
子供ながらに少なからず違和感を感じる時はあった。
しかし、今自分が大人になり、よその家庭の嫁姑の話を聞いていると私の母と祖母はとても良好な関係であり、今思えばとても仲が良かったと思う。

私が実家を離れて数年後、祖母は脳梗塞により半身不随、更には言葉も話せなくなり施設に入った。しかし母は献身的に施設に通い、話しかけ、マメに世話をしていたと思う。
施設に入りさらに数年後、亡くなった際、葬儀の時から葬儀が全て終わるまでほぼ寝ずに全ての工程を徹底して勤め上げていたと思う。田舎の葬儀は来客の相手をしたり、その地域の習わしの食事の準備したり、葬儀屋との調整を父と連携してやったりと様々な対応が必要だったと思う。

果たして私にそこまでできるだろうか。

先月、祖母の妹が亡くなった

私の母は祖母の妹とも大変好意にしており、私も幼少期に祖母の妹には大変お世話になった。ここでは「Nばぁちゃん」と呼ぼう。

Nばぁちゃん夫婦は私が保育園の時、当時まだ孫がいなかったのもあり私の事も本当の孫のように可愛がってくれた。
子供心ながらにとても印象深く残っている。

そのNばぁちゃんが先月亡くなった。

お盆に帰省した際に、母と話していてとても衝撃的な話を聞いた。

Nばぁちゃんが生きている時に、そこの家のお嫁さんが「この家に嫁に来て何一ついい事は無かった」「子供(Nばぁちゃんにとっては孫)の面倒を見るのを全ておばあちゃんに取られた」「子供がわがままに育ったのはおばあちゃんのせいだ」と言ったそうだ。

正直、信じられない気持ちでいっぱいだった。

Nばぁちゃんは、人のものを奪って裏で笑うような人では決して無い。
率先してテキパキ人のために動く人だ。孫が生まれたばかりの頃は、お嫁さんも働いていので一生懸命、孫をお風呂に入れ、ご飯を食べさせ、寝かせていた。働くお嫁さんと孫を思ってこその行動なのでは無いかと思う。手塩にかけて孫を育てていたのだと思う。
ちなみにそこの家の孫は、中学生になるまでNばぁちゃんと一緒に寝ていた程だ。

個人的な意見だが、子供は手をかけてくれた人に懐くと思う。懐かなかったのには理由があると思う。

Nばぁちゃんは旦那さんであるNじぃちゃんが亡くなった後、みるみるうちに弱っていった。老人が張り合いを無くすと一気に老け込むというのの典型であるかのような一目でわかる弱り方だった。

昨年、息子の出産時に長期的に実家に帰っていた私も何度か会ったが以前とは比べ物にならないぐらい、弱くか細くなっていてとても驚いた程だ。

田舎の老人は、都会に比べたら楽しみなんて本当に少ない。

自分で車にも乗れない。ショッピングする所もそんな気持ちも無い、可愛い孫だって今じゃ都会に働きに出てしまい会えるのは盆と正月とGWぐらい。
Nじぃちゃん亡き後、近所の人の家にお茶を飲みに行ったNばぁちゃんに対してそこのお嫁さんはさらに畳み掛けるように
「友達の所にお茶飲みに行けるのならば、病院だって自分で行ったら」と言い放ったそうだ。

病院に行く時や、ちょっと出かける際、車無しでは出かけられない田舎ではお嫁さんにいつも送迎をお願いしていたNばぁちゃん。
お嫁さんは働いていないので、他に何をするでも無いはずだ。
それなのに、そんな事を言ったのである。

Nじぃちゃんが居なくなり、張り合いがなくなったNばぁちゃんの楽しみを奪って何が楽しいのか。

何年一緒に住んできたのか。
今までどれだけの事をしてきてもらったのか・・・。
人として、人の親としてその発言はどうなのか。


当人から直接話を聞いたわけではない。
母から話を聞いた程度だ。
しかし、この話を聞いた私は心をえぐられるような思いに苛まれた。

同じ墓に入るという覚悟

嫁に行ったら、最後は旦那とその両親と同じ墓に入る。
というのは当たり前ではあるが、みんなそこまで考えているのか。

正直死んだらもう感情なんて無くなってしまうから、考える必要も無いのかもしれない。しかし、生きているうちにその家のことを理解し、腹を据える必要があると私は思う。

旦那も旦那の両親も自分にとっては元は他人である。
全てが理想通り、思い通りにいくなんては思っていない。

でも、嫌だった所を数えるより尽くして想ってもらって嬉しかった事や良かった所を数えて私は生きていきたいと思う。

過ぎてしまった事を後になってグチグチ言っても何も始まらない。
大事なのは覚悟だと思う。

腹が据わっている人は強い。
責任の所在を誰かのせいにもしない。

今自分の周りにいる人たち、家族を大切にしていこうと思った。


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