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北風と太陽の北風

私の父親は、イソップ寓話の「北風と太陽」の北風のような人だ。小さい頃から、「努力しろ」「世の中甘くない」「お前たちは恵まれている」とずっと言ってきた。確かに私たち兄妹は、経済的に貧しい思いをしたことはないし、やりたい習い事も行きたい学校にも行かせてもらえた。でもずっと家の中が窮屈だった。社会に出るのが漠然と恐怖だった。

私は今、会社を休職している。先日父親から「いつかこうなると思った。危ういと思ったんだ。」と言われた。そして「世の中を生きていけるように強くなってほしかった。そう教育をしてきた。でも伝わっていなかったんだな。」と言われた。その言葉がずっしり来た。
でも私は休職して良かったと思っている。もちろん会社の人に迷惑をかけているし、メンタル不調など無いに越したことはない。でも休んだことで、ちゃんと自分に向き合う時間ができた。そして認めることができた。私は強くないし、優秀ではないということに。なんなら最近耳にするHSP、その気質によく当てはまっていると思う。だから、これからは自分をすり減らさずに、自分のペースで頑張っていきたいと思う。父のメッセージを押し付けととるか、それとも先人のありがたい言葉ととるか。少なくとも私はうまく受け取れない。受け取れるだけのキャパがない。

私ももう子供ではないし、扶養される身ではない。だから父の言葉も受け流せるくらいの気前でいればいい。親のせい、人のせい、誰かのせい。それができる年齢ではもうないのだから。

少しだけ思うのは、世の中、大変なことで溢れているのが事実だとしても、それと同じくらい、面白いことや感動できることがたくさんあることを伝えてほしかった。ひたすらに「強くなれ」「負けない努力をしろ」と言われても押しつけにしか聞こえなかった。もっと私たち自身を見て、押しつけではない言葉を欲しかった。
今更、悲しくなるのはこれを伝えたい本人との対話を私はもう諦めてしまったこと。伝えようとしても言葉がつっかえてしまうのだもの。無性に虚しさとムカつきを覚えてしまって、ダメなのだもの。
ずっと噛み合わないまま、私たち親子は一番理解できない一番近い存在になっていく。



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