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タクシー・1

「嶋田畜農養育園出身のマルキドホマレですね、徳川晩期、当時咎人から人気をとっていた風光明媚で米が佳く、つまりは酒がいい、女賊もいい、あの悪太郎どもが憧れた流刑島は中部の縊れお仕置き地区にほど近い括れ部落で発見された野生種が発端の栽培物で、只今小僧さん躙り込みと共に香る裏日本系の、若やいではいるがやや陰気に湿った軽い黒煙臭は、雌の幼鳥つむりに冠した黄なる硬きトサカが為、炭は左胸、右腿のどっちつかずです、実に分かりやすい、わたしこの桃源島で畜農の養育に服務する嶋田さんとは懇意でね、うん助ちゃんなんか生まれる前から知ってます、ご長女のね、このお父さんがちょっと変わってましてね、女の子にうん助とはね、本当は雲助にするつもりだったそうですが何事にも夫唱婦随のお母さん、よくよく娘の将来を慮ったのでしょう、どうかクモスケとだけはご翻意願います、何卒うん助でご堪忍戴きとうございます、と泣いて頼んだんだそうです、しかし早いもので彼女ももう二十一歳、器量好しを強みに本土へ裏口帰化して今は浅草の象潟大学調法学部の学生さん、印度科でカレー味親和型遺伝子を優性とした牛の養殖を自由研究中でインド人教授からは風当たりが強いそうです、やはり変わり者の血統ですかね、そんな訳でわたしこの炭の出自がとてもよく分かるんです」

「いや、嶋田畜養園の出し物ではありますがこれはマゾッホマルで雄、少年です、トサカは立派とまではいかないが充分赤くピラピラしている元服前といったところ、どっちつかずと云うより、この席では、どっちもどっちも、と拍子をとった方が響くんじゃないでしょうか、部位は左胸左腿です、右腿はその先っぽのかわいいモミジがお誕生時、お産婆さんの不手際による落鉄の為発走除外、右を庇った左の筋肉からはっきりしています」

「違います、身体は雄ですがこの肉炭の心は女の子です、串をつまむ間もなく少女の清潔な羞じらいが微弱ながら肘のグリグリまで響きます、プロダクタは嶋畜園ですが母鶏を南米の内陸、おそらくパラガイあたりから持ち込んだのはブリド・コジネタで本来は中米に強いツグムリ商事です、社風のメスチソチックなサンボ香から判ります、彼女の郷里を離れるときの不安、悲しみ、そして僅かな希望の色素は畜農園で無愛想だが心の優しい、気持ちの真っ直ぐな婿をとり、諦念の中に安定を見出し始めた彼女の産道に忘れられる事なく、染み抜きされ難く染色されていました、健気に力いっぱい殻を叩き世界へ露わとなったこの娘の鼻腔を占めたその香りが、これ、この串に切なく表現されているんです、母の若鶏ながら食用鳥類グロバリゼションに翻弄され強火で炙られた情緒、L・A経由でパン・ナメリケン航空に乗り替え、不作法にもトリ客に向かってビフ・オー・チケンの機内食も喉を通らず涙ぐんだまま到着した羽田、入国審査官の憐れみにゆがんだ笑顔、何も心配しなくていいんだよ、と目で云いながらタンと押したゴム印の音は、もう帰る事はならぬという審判の響き、下越の港へ向かう外来鳥類収容所巡回シャトルバスの最後部、黄色い水玉模様の青白いベンチシートにモミジをぶらぶらさせながら、もう泣くまい背筋を伸ばして世界禽獣食経済の奔流に身を任せようと、鳥目もかまわず夜間の高速道路前方をキュッと嘴を結び見つめる凜とした心根、それら一切が雄の娘さんが奏でる香しさ一粒一粒にしかと受け継がれ、小さな小さな麗しい文字が紫の玉石涼やかな初夏の新信濃川下流を滑るが如き文体となり煌めいているのを、私は老眼鏡もかけずに漏らさず読みとれるのですよ、ね、お二方、ほら香りましょ、少女の粒が」

「おや、あなた泣いてますな」


つづく

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