エリザベス二世を描いてみた!ので功績をたどる
エリザベス一世と言えば、シェイクスピアの時代、アメリカのヴァージニアの開拓、海賊ドレークの登用で無敵艦隊をアルマダ海戦で撃破、イギリス国教会の地盤を固め、メアリ一世の悪政から生じた宗教紛争を治めたイギリスでNo.1かNo.2に挙がる名君であり統治者であった。一方で、アイルランド統治や先ほどのメアリーとは異なるスコットランド女王のメアリー一世残忍な姿を見せている。
では、エリザベス二世はどうかといえば、WWIIのウィンストン・チャーチル首相らのバトル・オブ・ブリテンなどによるナチス勢力の脅威を封じ込めたとはいえ、経済的にはエンパイアルートや3Cという植民地を失い、右肩下がりの状況で戴冠を迎えた。労働党のアトリー政権によって、ゆりかごから墓場までという福祉政策によってさらに停滞の状況にあった。
さらにアイスランドとフィッシャーバンクの漁業権をめぐり起きた3回たら戦争やスエズ運河をめぐるスエズ戦争が勃発と不安定な状況であった。
ここから鉄の女サッチャーによる規制緩和によって経済停滞を脱却、一方でサッカーの試合から戦争に発展したフォークランド紛争などもあったため、国民感情と急進派の改革の間をエリザベス二世は取りもった。
また、トニー・ブレア首相のニューレイバー政策時代には、息子チャールズの后ダイアナ妃との離婚騒動が生じ、ロイヤルファミリーの不信感が高まった。さらにアメリカとの連携の負の側面として、ジョージブッシュ政権・ネオコンによるイラク戦争やテロとの戦いなど中東問題に巻き込まれるなど非常に難しい問題もあった。
しかし、孫のウィリアム王子が成長し、キャサリン妃との婚姻などからロイヤルファミリーの国民支持が徐々に回復し、王権としての安定感をその手にした。ヘンリー王子とメーガン妃の結婚から数々の問題やスキャンダルに見舞われたものの、ヘンリー王子の離脱いや半ば追放からうまくその威厳を取り持った。
よって、エリザベス二世の治世は、そもそも政治的なイニシアティブはほぼなくなった時代とはいえ、国民の感情に寄り添い、イギリス史においては片手で数えられるほど平和な世の中を実現したとして、繁栄という点では、見劣りするものの、パクス・ブリタニカに近しい状況を実現し、ヴィクトリア女王やエリザベス一世に匹敵する名君ではあったろう。
インドをはじめとした旧植民地の国々では帝国主義的な統治があったとして批難する声もあるが、それでもイギリス国民の参列などをみてもその人気ぶりは伺え、やはり評価されるべき統治者であろう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?