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映画感想文『聖地には蜘蛛が巣を張る』

 今年日本で公開された『聖地には蜘蛛が巣を張る』、個人的には前評判通り見応えがある映画だったため2回鑑賞。
 今回は1回目見た際の全体的な印象、2回見た上で画面内の表現を意識した感想の2つに分けて書いていく。

■映画情報

◆基本情報

製作年:2022年
上映時間:118分
原題:Holy Spider
監督:アリ・アッバシ
ジャンル:ドラマ、サスペンス、クライム

映画.com ※ジャンル以外

◆ストーリー

 聖地マシュハドで起きた娼婦連続殺人事件。「街を浄化する」という犯行声明のもと殺人を繰り返す“スパイダー・キラー”に街は震撼していた。だが一部の市民は犯人を英雄視していく。事件を覆い隠そうとする不穏な圧力のもと、女性ジャーナリストのラヒミは危険を顧みずに果敢に事件を追う。ある夜、彼女は、家族と暮らす平凡な一人の男の心の深淵に潜んでいた狂気を目撃し、戦慄する——。

ABOUT THE MOVIE | 映画『聖地には蜘蛛が巣を張る』公式サイト (gaga.ne.jp)

◆ポイント

 実際に起きた殺人事件を元に作成したイラン社会を反映させた作品。

 『聖地には蜘蛛が巣を張る』は、イランで最も悪名高き連続殺人犯、サイード・ハナイの壮絶な一生を描いた作品です。犯人は敬虔な信者で模範的な人物であることを踏まえると、イラン社会に対する風刺作品であるともいえます。(後略)

公式パンフレット:P'6:Director's Note

■感想

◆全体的な感想

・ストーリー

 ストーリーは社会派サスペンスと娯楽的スリラー・クライム映画の両面の要素を持っていて良かった。事件の被害者・加害者・追及者の3人に焦点を当てているため感じ取るものは非常に多い。気になった点を挙げるとするとこの作品は犯人であるサイードの逮捕後も重要な要素としてそれなりの時間を取っている。この部分について個人的には必要性は感じたし無駄ではないと思うが、どうしても犯行・操作シーンが含まれる逮捕前の場面と比べると単純な面白みには欠ける。

・演技と演出

 特筆ポイントは演技と演出。

 演技については主人公ラヒミ周辺人物、殺害被害者やその遺族、犯人サイードの家族や友人など立場が異なる幅広い人物が登場しているが、それぞれに背景を持たせて演技をしている。特に3人の殺される娼婦はただ作中の駒となるのではなく、普段の生活や仕事、会話などでそれぞれ別の個性を与えて役者もそれに合わせた演技をできていた。

 もちろん作中の中心人物を演じるザーラとメフディの演技も良かった。ザーラは男性社会の中で自我を保つ強い女性のラヒミを一貫して演じており、メフディはサイードの家庭を支える一家の長とイスラム教徒としてのコンプレックスを抱える弱い面の両方をうまく使い分けていた。

 演出については状況に応じて「見る側を画面内に引き込む演出」と「見る側に画面を通して見せる演出」の2つ(例えば犯行シーンなど動きが激しい場面は前者、取材など会話が中心とした場面は後者)を使い分けていた。基本的に全体を通して人間の頭から腰にあたる部分にカメラの位置はあるが、タイトル場面でのマシュハドの空撮、サイードが逮捕された直後に窓から雨を掬う様子を窓外の下から撮影したカットなど要所要所で「神の視点」も挟まれていた。

・個人的な感想

 舞台は00年代初頭のイランだが今の日本にも置き換える事ができる内容だと感じた。男女格差はもちろんサイードが犯行に及ぶ一因もあった社会的な孤立や空白感、逮捕後に自分にとって都合の良い意見しか受け入れられず常識的な感覚が失われる部分についてはSNSが発達した現代にも通じる内容。日本で最近起きた事件としては2016年に発生した相模原障害者施設殺傷事件が犯人の動機、一部世論の弱者に対する風当たりの強さの表れが近いものに感じて他人事に思えなかった。

◆画面表現の観察

・前置き

 前述した通りこの映画について演出の使い分けが気になったので再び意識して視聴してみた。

 全体的な感想でも触れたが、この話は大きく2つに分けるとするとサイードの逮捕前後になる。話の構成について逮捕前はラヒミとサイードの行動が犯行シーンなど一部除いて並行して進んでいるが、後半についてはこの2人の行動が事件処分の話として一本化されている。今回は前半部分の画面表現とストーリーから特に強く感じたラヒミとサイードの人物像の違いを書く。

・自立した女性のラヒミ

 ラヒミは地元男性記者のシャリフィと同行して警察・イスラム教関係者など権力のある男性と会話する場面が多かったが、いずれも他の男性と同じ画面内で映る場面が大半だった。関連して最後に殺害された女性はサイードに対して臆せず遠慮がない発言をする強気な人物だったが、彼女についても同じようにサイードと1つの画面内で映る場面が多かった。

 ラヒミは権力者に対しても動じずモノを言える女性として登場している。前述した娼婦の言動を考えても、他の男性と並んで映る構図は彼女が男性優位社会の中でも自立した存在であることを強調した表現と受け取った。

・悩みを抱えた男性のサイード

 逆にサイードの会話や日常的な場面については画面内に1人で映るカットが多かった。映画内で映される最初の被害者女性と2人目の被害者ソグラについても、会話や生活の場面では同様だった。これは精神的な不安定を表現したものだと考えた。

 3人に共通する部分として弱音や本音を吐くことができない人物であることが挙げられる。最初の被害者については仕事の苦悩により1人で涙を流す場面があり、ソグラについてもラヒミとの会話では口数が少なく逃げ出した。サイードについても自身のイスラム教徒としてのコンプレックスについて友人に多少溢すことはあれど、家族に対しては逮捕されるまで一切話さずすれ違いから小さな衝突を度々繰り返していた。

・「男女らしさ」は「男女両方」を縛る。

 アリ・アッバシ監督はインタビュー内で『映画の元となった殺人犯サイード・ハナイ本人』の印象を以下のように述べている。

マジアル・バハリのドキュメンタリー『And Along Came a Spider』を観たんです。2002年にハナイの絞首刑が執行された後に発表された作品で、Youtubeでも観られます。それを観たら、ハナイに妙な同情を感じてしまったんです。(中略)実際の彼は、正直な人という印象を受けたんです。彼の行動には賛同できないけど、物語やキャラクターは思っていた以上に複雑だったんです。

公式パンフレット:P'34:Production Notes

 映画内でサイードは終始家族の長として「男らしく」ふるまうことを心がけており、逮捕後の家族との面会では動じないように語りかける場面もあった。しかし映画内ではラヒミのほうが自立した人物として表現されており、逆にサイードは弱い面も持った人物として表現される場面が多い。

 弱い面を持ちながら男性社会の中で「男らしさ」を求められる矛盾した状態が「複雑な物語やキャラクター」の1つだと考えた。そう思うと男女格差の一因でもある「男女らしさ」というレッテルについて悩む人は女性だけではなく男性もまた同様であり、男女格差について考えるのは男性側の悩みの改善に繋がる部分もあるのではないかと思った。

■参考資料

◆映画『聖地には蜘蛛が巣を張る』関連

・公式HP

・映画.com

・公式パンフレット

 2023年4月14日発行|発行承認:GAGA株式会社|発行・編集:松竹株式会社 事業推進部|編集:岩田康平(松竹)

◆映画鑑賞の着眼点として参考にした本

・Film Analysis 映画分析入門

 2020年6月10日 第5刷|著者:マイケル・ライアン、メリッサ・レノス|訳者:田畑暁生|発行所:株式会社 フィルムアート社

・SETTING UP YOUR SHOTS 傑作から学ぶ 映画技法完全レファレンス

 2012年2月10日 第9刷|著者:ジェレミー・ヴィンヤード|訳者:吉田俊太郎|発行所:株式会社 フィルムアート社

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