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一枚の絵(後編)

前編はこちら

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その絵には『一枚の絵』というタイトルが付けられ、第三展示室の隅の方に飾られていた。

2階への階段は、広場側へ抜ける入り口の横にあって、のぼってすぐに展示室の入り口はあった。
「第一展示室」とあり、廊下を見ると、奥まで4つ展示室が並んでいる。

目の前の引き戸をガラガラと開けると、小部屋があった。
小さな白い部屋の中は、展示というよりは無造作に学生の作品が置いてある、という感じだった。

彫像がほとんどを占めていて、よく見ていると、たまにきちんとタイトルがついているものがある。
有名な作品のオマージュのようなものや、抽象的なもの、過激な性表現のもの、知人を模したと思われるもの。

右の壁は通れるよう切り取られている。展示室は中でも繋がっているようだった。
オブジェの山をくぐり抜けて、第二展示室へ行くと、そこは作業スペースになっているのか、ブルーシートが敷かれていた。
壁際に画材が集められ、窓を遮るように巨大なキャンバスたちが立てかけられている。
展示室という名前の部屋ではあるが、学内の教室だ。授業で使ってそのままでも変じゃない。

第三展示室は、個展がひらかれていた。
入ってすぐ、大きな絵が壁の穴の両側に飾られ、窓からの採光をちょうど受け取る場所に彫刻が置かれている。
すべての壁に丁寧に、額に入れて飾られている絵を見て、タッチが同じではないけれど、これは同じ人の作品だ、と思った。
大きい絵をじっと眺め、そこから順にまじまじと見てみる。

美術なんて正直全く分からない。
けれど不思議と惹き込まれた。
大小あれど、すべてがおそらく大学周辺の風景画のようで、水彩、油絵、鉛筆で描いたようなものまで飾られている。
どれもにタイトルはついていなかった。

一番日の当たらない場所の作品に、唯一『一枚の絵』とタイトルが掲げられていた。
額に入っていない、キャンバス地に描いた小さな油絵は、わたしが前に立つと余計に暗くなる。
目を凝らすと、多彩な青が散りばめられている。
ひとつの色ではなく、赤や黄色や金や色んな色があるのに、その小さな絵画は青でしかなかった。
海そのものが、一枚の絵に凝縮されている。

展示室、という名前だけが残っているのかと思っていたけれど、どの部屋も使っている人が、勝手気ままに使っているという感じだ。
第四展示室もまたきちんと展示がなされていて、今日乗ってきた電車を映した写真が飾られていた。
ひとつひとつに、タイトルや説明が書かれていて、わたしはあの電車にやたと詳しくなって、展示室たちを後にした。

そのあとも構内を少し歩き回ったが、広すぎてすぐやめにした。
正門からふたたび出る。
せっかくだし、海、行こう。


駅とは逆に向かって歩き出す。
やがて、夏休みの海が見えてくる。
一大観光地ではなくても、それなりに水着の人がいるようだった。

洋服のまま飛び込んでいく人もいる。大学生だろうか。

わたしも制服のまま、ローファーごと海に向かって突き進んだ。

しくじった、なんで展示室なんか入っちゃったんだ。
わたしの最初の海はぜんぶアレになってしまった。
本物以上の海を知ってしまった。
ずんずんと海水の中に体を浸していくけれど、あの一枚の絵に勝てない。

絵が脳裏に焼き付いている、わたしの思い出の海のいちばんを、最初を、簡単に奪っていった、あの海の中へ行きたくて、わたしは重たく揺れるスカートを引きずりながら、進み続けた。

来年から、ここに来る、ここに住む。
ここからわたしが生まれて、生まれ故郷になる。
肩まで浸って、わたしは海辺の街の空気を吸った。

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