見出し画像

一枚の絵(前編)

わたしが生まれたのは日本のどこか、海辺の街で、夏だったこともあって、安直な、海っぽい名前をつけられた。

けれど、そんな海の近くに住んでいたのは2年くらいのことで、わたしは覚えてもいない思い出の場所を、名前として背負わされた。

名前自体は気に入っていたが、とくべつ海に行くこともないまま18になった。

8月、推薦入試のためにわたしは電車に乗っていた。
一度も訪れたことのない学校だったので、朝かなり早めに家を出た。
正直そんな見ず知らずのところ受けて、受かってどうするんだろうと思う。
いまの成績で行けるところ、ラクして行っちゃえばいいや、そういう感じでもない。
別にまだ第一志望も決まってない。
特段やりたいことがないのだから、まあ受かったらその時考えよう、そのくらいの気持ちで、それでも早起きして電車に乗っている。
この時間はなんなんだろう。

乗ったこともない電車は、だんだんと駅間が離れていって、中心から離れていっていると感じる。
山合に無理やり穴をこじ開けて、線路なんか通して、そこまでして日本の色んな場所に人がいて、何かあるのが、地球の意に反しているような気がして笑えた。

何回かその穴を抜けると、半分開いた窓から海の香りが漂う。
嗅いだ覚えなんてないのに覚えている、海、潮風。
帰ってきたんだ、と思った。

練習通りの面接が終わった。
こんな誰も気持ちがこもっていないやり取りをしただけで、わたしは大学生になれちゃうんだな。
潮風で黒ずんだコンクリートの巨大な校舎と、海岸に面した校門を順に抜けていく。
花壇の花々はしなびていて、わたしの髪は、ヘアゴムの変な痕がついて、指で梳くとバリバリいいながら解けた。

こんなところまで、なにしに来たんだろう。
夏なのにブレザーわざわざ着て。

バス停のベンチに座り、リボンを外す。
紺のハイソックスとブレザーも一緒に丸めて、すかすかの鞄にぜんぶ適当に突っ込んだ。
スニーカーソックスに履き替えて、ローファーのかかとをつぶして、バスの時刻表を見ると、15分は来ないようだった。

行くかもしれない学校のこと、わたし何も知らなかった。
電車で1時間半、駅からさらにバスで15分のところ。
もう一回来るのって、入学式だな。

引き返して案内板を見る。広大な敷地には棟がいくつもあって、その中に「美術棟」というのがあった。

美術棟はさっきまでいた正門とは反対、東門のすぐそばにあった。
建物には搬入口、と書かれた大きなシャッターがついている。
運び入れやすいようになってるんだな。

人が入るための扉は、搬入口の横にあると小さく見えた。
古いガラスサッシの扉を押すと、難なく開いた。

1階から2階が吹き抜けになっていた。
キャンパス内の広場に面している壁一面がガラス張りになっていて、その中央には、なんか見たことのある像がある。
なんだっけ。ミケ? なんとかのミケ、みたいなやつ。

ミケの羽の先、2階の廊下を見やると展示室、という文字が見えた。
わたしは、その文字にたどり着くために、上にあがる方法を探した。

(続く)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?