![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/49408528/rectangle_large_type_2_a3781528001ce09f379a5a6658f91d04.jpg?width=800)
人は見た目が9割らしい、すれ違いざまに於いては。
時どき、歩いていると、昔のわたしを見かける。
昔のわたしっていうのは、見た目がね。
喋ったわけじゃないから中身までは分からない。
すれ違っただけの、昔のわたしみたいな見た目なの人。
今でこそ「おしゃれだね」って言われることも増えたし、だいぶその言葉を素直に受け入れているけれども。
ちょっと昔は、現在のわたしからしたら酷かった。ダサかったー。
別に見た目に頓着がないわけじゃなかったんだけどね。
ファッション誌読むのも好きなのに、全然参考にすることはなく。
当時からネガティヴがすごいわたし、自分の見た目に対してコンプレックスはすさまじかった。今の3万倍。
コンプレックスを助長することで、これはコンプレックスだから仕方ないと思わせていた。
背が高くも低くもないし、顔は大きいし、足は短いし、それでいてヒョロヒョロで手だけ長くてエイリアンみたいだわ。
こんなヤツがオシャレしたところで、洋服がかわいそう。
コレはダサいんじゃなくて、わたしが着てるからダサいんだよ、みたいな。
わたしって中身もダサい人間なんだよ、っていうアピールだったと思う。
下げて下げて下げて……何って、安心したかった。
自分が最低な人間でいるのって本当にラクだから。
家族がとてもファッションやトレンドに気を遣う人びとだった。
それもあって、この人たちと対等に渡り合えないなら、わたしはウンとダサい「オタク気質で服装に頓着のない子だから仕方ない」の域まで言ってしまえば、ああだこうだと言われない。
そういう気持ちがあった。
中途半端にファッションに気を遣って失敗した時の「ダサい」をもらいたくはなかった。
だから、ダサいとかダサくないとか、そもそも言われないレベルまでダサくしていた。
その精神がいちばんダサい。
洋服は今も昔も好き。
だからこそ、「わたしが」オシャレする意味を、あの頃は見出せなかった。
家族に散々言われていた「顔がデカい」「足短い」とかっていう「呪い」が結構蓄積していたんだなあと思う。
妹が背が高くてスタイルがよくてオシャレで。
だから、姉はオシャレじゃない方がいい気がしていた。
理由は上手く説明出来ないけど、妹よりダサくいるべきだという意識があった。
でも、ダサいなりにも、当時のわたしにもこだわりがあったらしい。
ダサくするのと同じ発想で、流行を失敗した感じになるくらいなら、自分の独自の路線を築けば、そういう判定から逃れられるというやつだけどね。
そういう意味ではやっぱりオシャレになりたい人なんだと思う、ずっと。
その”こだわりのダサさ”を見た家族に「その格好で大学行くの?」と言われて、キレた。心の中でだけど。
オシャレへのこだわり、やっぱあるんじゃん。
ダサいと言われたくなくて、ダサくなっていても、やっぱり本当にダサいのは嫌だったし、その日は「ダサくない」って思っていた、間違いなく。
そこまでは自覚がなかった。
ダサくしてる自覚も、オシャレしたい自覚も全然なくて、今まで書いていた内容は「今思うとそうだったんだなあ」だった。
わたしちゃんと洋服着たい願望があったみたいだ。これも、今思えば、だけど。
でも、当時は、はあ?!となっても結局、急に方向転換して、それでああだこうだ言われたくなくて「一般人のフリしたオタクファッション」を続けたんだけど。
4年前に実家を出て、比べられたり、買ってきた服を「何その服」って言われたりするイベントが強制的に発生しなくなった。
ちゃんと、着たいように服を選んで着て、出かけるなら、いまだ、と思った。
そんで気付いたらオシャレと言ってもらえるようになっていた。
家族には相変わらず「なにそれ」「どこで買ったの」「すごい色」とかたまに言われなくもないけれど、不思議と気にならなくなった。
足短いのも、顔デカいのも、妹としか比べられないから自信なかったけれど、たぶんそんな言うほどじゃない……と思い込むのを今は頑張っている。
でも、いまだにどうなのかわからない。
芸能人じゃあるまいし、とは思うけど、お人形さんみたいにかわいくないと、やっぱり洋服に申し訳ない気持ちがずっとある。
全面的に自分が素敵な人間とは思えないし、中身は全然外見に追い付いてない。
外見も、まだオシャレで素敵かどうかは自信ない。
でも、オシャレだね、って言ってもらえたことを、疑うのは、言ってくれた人のセンスや感性を否定する感じがして、それはよくないな、と。
自分のことは全然信用できないけど、友人たちのことは信頼してるので。
すれ違う人たちは、服に興味がなくてそうなるのか、興味があってそうなるのか、いつも考える。
オシャレな人も、そうでない人も、その人の自覚と無意識がどこまで見た目に影響しているのか、気にかかる。
わたしとすれ違った人はどう思うだろう。
一瞬で内面なんて分からないんだから、せめて、すれ違っただけの人くらいには、ちょっと素敵だと思われてたらいいな。
そのためにオシャレしているわけじゃないけど。
じゃあなんのためかって、いうと分からないな。
楽しいからかな、単純に。
単純に、ただ楽しむのに、8年がかり。
本当にスローペースな人間です、志邑は。
寿命が80年程度では人生が足らない気がします。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?