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しらゆき号に乗って

次の連絡船の時間まで、あと40分あった。

わたしは往復のチケットを買い、これから湾を挟んで反対側に住む友人の許へ行く予定だ。

友人にそのことは伝えていない。

友人は、3年前、まだわたしが不動産屋で働いているときに出会った。
客で、友だちと住むシェアハウスを探しにきていたのだった。
同居をするという連れの人物は、化粧も服も派手で、後の友となる人物は毎日が葬式のようなタイプであった。
このふたりが同居するイメージはまったく湧かず、色々気になったが、わたしは仕事人に徹し部屋を紹介した。

内見の時、いつもふたりは腕を組んでいた。
冬のフローリングはつめたく、ストッキングを履いた派手な方はしきりに叫んでは、友人の腕を掴んでいた。
わたしもストッキングだったが、スリッパを履いていた。
彼女にも勧めたが、人のはムリ、と断られた。

友人はいつも厚い靴下を履いていた。
携帯用のスリッパも持っていて、それを彼女に貸していた。
家を契約するその時まで友人だと言っていたが、付き合っているのかもしれない、と思った。

しばらくして、家賃が払えないので退去したいと電話があった。
それは不動産屋ではなく大家に言ってくれ、というと、まだ1年経っていないので違約金がかかるといわれた、どうしよう、と泣いた。

どうしたらいいのか?わたしに聞くな。
と最初は思ったが、結局一緒に住むことになった。
わたしたちの友人関係はそういうふうに出来上がった。

それからしばらく経って、今わたしは2年ぶりに会おうとしている。
きっかけがあったわけではなかった。
いや、それは嘘だ。
先週カップルの内見があった。
彼女の方は20デニールくらいのタイツを履いていて、そして、きゃー床つめたいー、と叫んで、わたしの腕を掴んだ。
スリッパをお貸ししましょうか、というと「あ、持ってんだった」と鞄から取り出して履く。
それをみて、会いたくなったのだ。

連絡船は時刻通りに出港した。
白く泡立つ水面を眺め、寒い甲板でじっとしていると、アクリル製の紺のマフラーだけがたなびいている。
わたしの未練と悩みが、後ろに引っ張っている感覚。
30分ほどの渡航が、どこまでも長く感じた。

いつまでも近づいてこないように見えた、港がもう眼下にあった。
甲板にはいつの間にか人がひしめいている。
わたしもその波に乗って陸にあがる。

きっぷを無気力に切っていた係員がわたしを半分ちぎったところで手を止める。
「これ降りれないですね」
よく見ると往復券ではなく、周遊券だ。
「30分経ったら出ますんで船内でお待ちください」
滑舌の甘い早口でそのようなことを言うと、係員はきっぷを押し返した。

行きには入らなかった客室に足を踏み入れる。
古ぼけたような装飾の椅子が立ち並ぶ。
わたしだけがまだ数年前に取り残されていた。
わたしはまたあの家にひとりで、帰っていくのだ、これからまた。

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