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2010/10/20 師匠からの指導テキスト

たまたま学生の頃に使用していたUSBを開ける機会があり、中身を確認したら「常駐スタッフになる前の見習い期間中、卒業制作で悩んでいた私に向けての、師匠の仁平からの指導テキスト」が残っていました。この時はTwitterのメッセージ。 今読んでも、とても為になる内容なので、noteでも保存する事にします。もう12年程前の、私が大学生の頃のやりとりです。

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<私から卒業制作をする中での不満と不安を認めたメッセージを送信→それに対する師匠からの返信。>

それならそのなかでの容量いっぱいをやれば良いわけです。例えば追い込まれた萎縮した自分というものがあったとしたら、それもまた自分でそれがキチンと出ていればそれが逆に許されるのが創作だと思います。人は必ず環境から良い影響も悪い影響を受けます。それが自然です。そこでどう振る舞うかです。

それと、確信はいろいろな観察と準備の結果わき起こるもので、あらかじめ持っているものではありません。まずは時間の空間を区切るのも有効です。これはここまでの日で決定する、とすると、その期限までに空間が出来ます。そこの密度を上げると観るものは観えます。

沢山やるべきことがあって、ちょっと溺れ気味なら「分割」すること。まずはこれを片付けて、それからこれを、とやると流れが観えてきます。それから全体を調整します。

総合的に観る、ということは「一度にいろいろなことをする」という意味ではありません(大事)総合的にみて、これは一つずつこなしていった方が良い、という判断のことです。その判断が確信になり、それを一つ成し遂げることが確信につながります。複数作る時には全てに力を投入するよりは

出来ることをやって4点の作品のなかの整合性があれば良いと把握します。そうすると、自然に一つ一つも成り立っているものなのです。全体に血が流れていることが大切なのです。作品によって出来不出来があっても、でもこれは好き、と言ってくれる人が出たりします。そういうものです。

何かとても小さなことで良いからこれはこれで間違いがない(今の自分はやり切った)ということをつくる。小管に巻く、という行為でもいいのです。キチンと巻いたそれは美しいです。それが「起点」になります。そういうことがつながっているのが、工房での作業です。小さな確信が小さな自信になり増幅。

「そういう小さな確信が連鎖するような環境をつくること」が創作の基礎的なものです。そういう環境づくりもまた創作なのです。それは精神論ではなく、技術論なのです。はい、今回送ったものはテストに出るからコピーしてとって読み返すように(笑)

2010 10 20 twitter from Foglia_tw

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学生の私も中々支離滅裂で反抗的だったと思うのですが、大学教授とのやりとりには非常に不満を感じておりました。その鬱憤を師匠に相談していた思い出があります。続けられるかどうかも分からない【弟子(仮)】というような状況の私に対して、これだけ丁寧に適切に指導をしてくれる大人は師匠以外にいませんでした。そんな大人に出会えていた事は、本当に幸福な事だったと思います。

そして、今の自分があるのも師匠のおかげです。恩返しは自分が成長し続けることだと思っています。これからも精進してまいります。


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