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「種まき」からやり直す(BM7)
お寺からのおハガキを送ってみたら、反応がとてもよく、まだまだお手紙は大事なんだなと分かった。
なので、今回は女性部の会長さんにお願いし、手書きのお手紙を書いてもらい、スキャンしてハガキにしてみた。
女性部の会員は250名くらいおられるので、費用はかかたけども、行事がほとんど中止になったから予算はある。
こういうのは、「種まき」というのだよね。
私はネットを駆使して現代的な?アプローチをする変人?的に思われているふしがあり、そういうところもあるのかもしれないものの、結構「種まき」もしているのではないかな?と思う・・・。
ちなみに新聞もPCをつかうものの、最初の企画段階とかラフ的なものは絵に書いたりしてみるし、アナログがゼロという訳でもない。
これまでは伝統と数世代同居が功を奏し、お寺のことや仏道のことはそこそこ放っておいても芽が出たのかもだけど、枯れてしまった畑からはもう芽はでないんじゃないだろうか。
そこで呆然と立ちすくんで「枯れたなあ」と嘆くよりも、さっさと枯葉を片づけて、土をならして「種まき」をやり直すしかない。
もちろん「種をまこう!」という意思が、立ちすくむ人に芽生えるかは縁が関わっているとは思う。
できる範囲でせっせと「種まき」をしていると、「どんな種ですか?」「どこにありました?」と聞かれるのなら応えられる。
でも、枯れてしまった畑に希望のない発芽を託して、「こちらからまた芽が出ます。わざわざ新しい芽をまく必要はありません。」と言われるのはもうそろそろ厳しいと思う。
もうとっくにあらゆる分野で「種まき」は始まっていたのだ。
なぜか今日は何回も「種まき」というワードが降りてくるので、
書いてみた。
しかもかなり抽象的な事になった。
さらにそんな今日はコップと皿と連続で割ってしまった。
がーーーん。
今後お寺の坊守【BM】を盛り上げるための資金にいたします。