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お寺で女性が病気になってはいけない

お寺で過ごすというか、お寺が職場かつ家だという女性は日本にどれくらいいるのだろう。そもそもそんなこと調査できるのだろうか・・・。職種のところに記入する場合、最近でこそ寺業なんて書いてだしたりするものの、大抵は自営業あたりで茶を濁すことが多いので調査すら難しそうだ。ということはつまり、社会から抹殺されている気分に陥りやすいということなのだ。なんてことだ・・・。これだけの仕事をしているのに。社会に存在してはいけないというレッテルと言うのはつまり、病を引き起こしやすいということにもなる。特に西洋医学的見解の分別智の極みのような病名が付く可能性もある。よく知らんけど。その病名。自分自身も、もしやそうなるかもしれない、と感じたことだってある。病院に行かなかったし、なんとかしてきだけだ。いや、息子は大変だった。SSにもSSWにも臨床心理士さんにも医師にも全部お世話にならざる得なかった。でもどこかで自分のせいだと思っていたからとにかく一緒に治すことに必死で、高齢の方しかいない昼間のプールに学校を休んで一緒に入って、さらにいやみを言われながらも子供をおんぶして泳いで時間を紛らわせていたこともある。高齢の方の会話にはお寺に対する愚痴だって入っていたからもう何重にもきつかった。そうやってきた、今、やっと落ち着いて来た。それは自分の仕事と家庭の事をうまく整理して、回せるようになってきたからもあると思う。そのノウハウはもしかしたら少し誰かの役に立つのではないかと思い始めている。もしかしたら考えている以上に見えない所で思い悩んでいる女性がいるのかもしれない。そして病気になっている人がいるかもしれない。なんでお寺で女性が病気にならなければならない?仏教は人を救うためにあるのだろう。もちろん大変な状況の中の支えの一つになってきたのは仏教や教えだったことは間違いない。ただし、それをどう実生活と仕事と家庭の中でいかせるのか。そこは本当に難題だと思う。そのカギは、ちゃんとお寺の女性が社会との接点を持つことではないだろうか。そこから役割が明確になれば自信をもって生きていられるはずだ。そもそもお寺で女性が病気になってはいけないし、周りが病気にしてもいけないと思う。

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