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「いちいち気にする」からこの仕事ができる 06

こんにちは
何かと何でも「気になる」男 森田浩庸(もりたひろみち)です

最近
お客様にもこんなお話をしています

「繊細だから ご自身の身体の不調に気がつけるのです」
「ちょっとしたことでも気がつけた方が大ごと(病気)には至らないことがあるのです」
「だからその感覚を否定しないでくださいね」

という感じで
そのお客様が症状やご自身が抱えている問題や課題について
気にしていたり、過剰に反応している状態について
ご本人がダメ出しや否定をしている時に
お話しすることがあります

「繊細」という言葉の同意語として
デリケート・きゃしゃ・精巧・細かい・細やか
などがありますが

ほんのわずかな変化でも感じ取れる「感覚」をその人が持っている

と私は感じます

感覚ということであれば
「敏感」「鋭敏」
という言葉に置き換えて考えると

その敏感・鋭敏な感覚がうまく働くことによって
日本の伝統工芸を支えている職人さんがたくさんいると感じますし
指先の感覚でプログラムされた機械以上に
素晴らしい精度の高い物体を作り出す人が存在する

人の感覚というものはとてつもないものでもある
0.01mm以下を感じる

そんな職人の様子をYoutubeなどで見ていると
感心すると同時に背中がゾクゾクする感じで
想像がつかない・一般的には理解できない世界になるかもしれませんが
でもその人は人間ということで変わりない

そう感じると
私もその人間・お客様もその人間
みんな一緒だと思うのです

だからこそ
人はどこかに「敏感」「鋭敏」な感覚を持っていて
それをうまく使うことができれば
・素晴らしい製品を作ったり
・自分の健康を保つために使えたり
・人間関係の調整に役立ったり
・植物や動物の育成に繋がったり
自分の感覚をどこでどのように使うのか
うまく目の前の環境を整えていくことも大切なのかもしれません

私の場合は
小さい頃から
人の顔色や動作・挙動をよく観察することをしていました

それは親の顔色を伺うことからスタートしたと思いますし
それが自分の境遇の中でより強化されていったのではないかと思います

「何かといちいち気にする」

学校を転校する度に
自分と周りの関係性をどのように構築することが常に求められていたので
それが自然に周りの人の雰囲気や表情・動作を観察するのが当たり前になっていたらしいです

↑後々これについては理解しましたが
多分このような環境で得られた経験が
ちょっとした変化に気づく能力に生かされているのかもしれません

そしてその得意分野とも言える能力を生かしてというか
人の役に立ちたいと感じて始めたセラピストという仕事

それがたまたま
人を観察してその人に適したアプローチを選択するこの仕事に合っていたらしいのです

身体の僅かな反応を感じとる

↑いちいち気にすることがとても役立っていると今では有難い限りなのです

お客様からも
「何でそんなことが分かるの?」
「何故言ってもいないことを知っているの?」
と目を丸くして驚かれたり
ある意味怖がられることもありますが

私は僅かな変化・反応を見逃さないように集中し続けているだけ
(もちろん必要なテクニックなども学びましたが)

基本的には小さい頃に感じた
「いちいち気にする」という感覚を使ってセラピーを提供しているだけでもあるのです

敏感・鋭敏という感覚
時には過敏になって困ることもありますが
うまく付き合う方法を知ったり
その感覚を役立てる環境に身を置くことができた時に
自分のこの感覚を好きになれたし
目の前の困っている人のお役に立てたのです

そして最後に
親が顔色を伺わせるような恐ろしい存在でいてくれたことに感謝を伝えれるようになったのも事実なのです 笑


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