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一方通行の良さ 【再掲載】

2019/09/08 16:18 初投稿

猫写真(ФωФ)(●ω●)を追加して、過去noteを【再掲載】しています。

の続きです。


17際で母が他界 その後、四半世紀あまりで感じた母が亡くなったからこそ”良かった”ことをシリーズでお伝えしています。



第9回  一方通行の良さ

私が、noteをはじめる事にした理由の一つに、『一方通行の良さ』があります。

note だけでなく、あらゆる表現者が、『一方通行』の表現をすることは、その表現が必要な人の心にダイレクトに刺さり、時に壮大なエネルギー源となり、時に深い愛を感じ、時に生きるヒントをもらい、時に人生そのものを変えてしまう力を持っています。

そのような『一方通行の良さ』がはっきりとわかったのは、結婚して子供ができ、私がお母さんになったときでした。

二人目の子がまだ小さく、よちよち歩きをしていた頃、私は、男児二人の元気さと奔放さ、そして『男の子』と言う存在そのものを、母親である私が掴めない事に、とても疲弊していました。

子育てについて『母』が居たら相談したかったなぁ。愚痴ってみたり、話を聞いてもらいたかったな。などと思う日々が続いて居たときの事です。

子ども達を寝かしつけて、一人でお風呂に入ってボーッとしていると、急に、むかし母に言われた言葉が、まるで話しかけてくるように、降ってきたのです。

『あのね、絵と言うものは、離れてみるものなんですよ。』

ビックリしました。

母の言葉は、私がまだ小学校の高学年位の頃に、美術館へ行ったときに言われた言葉です。

今、どうしてこの言葉が思い出されたのか。すぐにピント来ました。

子育てをしている私の視点は近すぎて、全体像がまるでわかっていない。物事を俯瞰して見てみなさい。と言っているのだ。

そうか、そういう事か。そうだ、そうだと納得がいき、胸の支えが取れてすーっと楽になりました。そして、母の愛に包まれていると感じたのです。

母の愛は、亡くなってからの方がより鮮やかに感じるものなのだと、その時はじめて気がつきました。それから、私が感じる世界はまた大きく変化していきます。

その時からずっと私の心を支えたり、動かすのは、『一方通行』の表現です。

それは例えば、アートであったり、音楽であったり、映像であったり、文章であったり、動物であったり、思い出であったり、未来であったりその時々で様々ではありますが、『一方通行』であることが重要で、それを頼りに自分なりの解釈ができることが、私の心を豊かにしてくれます。

母がもしも、生きていたとしたら、私は今ごろ、毎日愚痴をいいながら、子育てをして、嫌だ嫌だと思いながら、人生を過ごしていたかもしれません。

母は、私を母として親として生きる事の術を与えてくれました。母の愛とは、すごいものです。必要な時にはちゃんと届くようにできているのですから。

母よ
私に愛を届けてくれてありがとう


母の『一方通行』を受信できるアンテナが備わっていた事に感謝しています。

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