謎の手掛かりが見つかったのかもしれない
うちの子のトラブルの元はここにあるのかもしれない。
最近はめっきりトラブルを抱えなくなった次男。けれど、違和感は残る。
ASDが、コミュニケーションの障害と一言で言われても、個々人で様々な癖があるようでいろいろな話を見聞きしても何となく分かったような分からないようなモヤモヤしていた。
違和感だけを感じていた部分。それが今日分かったような気がする。
彼の場合、会話において、相手がどの程度その話の内容を理解したり、知っていたりするのかの算段が的外れのようだ。理解力といっても、会話毎にそれらは違うわけで、同じ相手と話していたとしても、内容が変われば理解力に差が出る。
学校で起こった事、休みの日の事、趣味の事などなど、それぞれに当たりをつけてやり取りをしているのだろうけど、とっても測り間違いが多いのだろう。
そう言うのが「空気が読めない」と言われてしまう原因の1つなのかもしれない。
あたりの付け方をある程度システム化、マニュアル化、言語化できて、ケーススタディができれば、「空気が読めない」はすごく減るだろうし、会話の中に生まれる違和感や、相手の癇に障ってしまうようなトラブルを軽減できるような気がしてきた。
それから、「人の気持ちが分からない」という言葉の中身には、あたりの付け方が分かっていないとか、測り間違いなんかが多分に含まれているような気がしてならない。気持ちが分からないんじゃなくて、計算式とか、計測方法とかそう言う所に誤学習や、未習得があって、すれ違っている事が混ざっている予感がする。
予感は的中するのかどうかまだわからないけど、何となく糸口が見えてきたような感覚がある。
定型発達の人達がなんとなくやっている事。それを言語化できるのかどうなのか…また母子ともに、学びの機会に恵まれたようだ。
これは道のりが長そうな課題だなぁ。
ふふふ。それはそれで面白い。
私はどうやって察知しているんだろう。まずは、そこからだな。顔を見たり、会話の中にある文法とか状況とか?多分もっともっと色々なことをキャッチして処理しているんだろうけど、考えてみた事が無いって事は無意識的にやってる事か。
現在開催中のパラリンピックを見ていて思う事。それは、発想の転換をどれほど行ってきたのだろうかということ。
彼らは凹みの部分を切り捨てたりしていない。活かせる方法を模索して乗り越えいる。凸を伸ばす事だけではその人の良さは出てこないのかもしれない。むしろ凹みに活路があるのかもしれない。
そこには無いと思っていた所に探しものがあるなんて事は何度も経験した。考え方や見方捉え方を変えてみると見えてくるもの。
我が子の活路はどこにあるのだろうか。
一つの事柄だけを見つめていても見えて来ないだろうな。
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