AIは人間から何を奪うのか?
こんにちは。虫歯克服おじさんです。
僕の職場にもようやくワークをテレしていく流れがやってきまして、おかげさまで通勤時間が0分の日が週にいくつか出現するようになりました。
このボーナスタイムを有効活用するのがデキる大人!
というわけで、「AIのべりすと」や「Midjourney」で遊んでいました。
楽しいですねコレ。
トップ画は「サイバーパンクな人混み」を頼んだらポンと出してくれました。すごい。
というわけで、センセーショナルなタイトルにしてしまって申し訳ないのですが。
僕(30代)が子どものころから根気よく言われ続けている「人間が機械に取って代わられる」という言説について、ちょっと考えてみたいと思います。
まず、ある程度の分野において、人間はとっくの昔に機械に完敗しています。
パワー・スピード・持久性といった単純なことは西暦が始まる前からすでにそう(エジプトでは紀元前3000年以上前には既に風車が生活に利用されていたらしい)ですし、産業革命なんて「単純作業=機械の仕事」という今日の常識を位置付けた象徴的な出来事です。
簡単に言うと、こうした技術革新によって、人間ではできないことを機械にうまいことやらせるのが人間のスキルになったわけです。当たり前ですが。
それでも、現代においても「AIが人間をどうのこうの」という話は飽きられることもなく引き続いて繰り返されています。
非常にがさつな物言いですが、「知性」と思われていた部分に機械が到達した、というのは大きかったと思います。
僕はこうした分野については完全な素人ですので、もしかしたら勘違いも甚だしいかもしれません。
ですが、今やチェスや将棋で当たり前のように人工知能が勝ち上がり、機械翻訳はいつのまにか笑える謎文章を提供する小道具から国際交流の必携ツールとなり、カーナビアプリが道順も所要時間も即刻教えてくれるようになり……
人間が一定の研鑽を積まなければできないようなことを、機械、というかAI(厳密な定義はあると思いますが、誤りを承知の上で『AI』と総称させてください)は割と簡単に安定してやってくれるようになってきました。
もちろんそれぞれは「非常によくできた道具」であって、それが人格を得て高度技能を持った人材(人?)として独立したわけではありません。結局は使う人間次第です。
今のところは。
では、なぜ最近のディープラーニングなどを駆使したAIはこんなにも我々の心をざわつかせるのでしょうか?
それは、これらが「感性」をも表現しはじめた(ように見える)からではないでしょうか。
ここで僕が考えたいのは
「今度こそ人間はAIの支配下に置かれる」
「やはりAIは人間の真似事しかできない」
「AIのDXでクラウドだから人件費は削減」
などではなくて、
「こうやってAIが進化して、それを受けて我々はどう変わっていくのか」
です。
キーワードで素敵なイラストがすぐに生成できる。
雑な下書きを丁寧な絵に仕上げてくれる。
この天才絵師AIたちはイラストレーターのスキルを否定し、食い扶持を奪うのでしょうか。
たぶん、そんなことはないと思います。
いや、一部そうした憂き目があるやもしれませんが、既存の市場を破壊することが主たる目的ではないでしょう。
きっと、今すぐには思いつかないような紆余曲折を経て、予想もしない分野で絵師AIは活躍しはじめるような気がします。
たとえば、僕個人がなんとなく想像し得る範囲ですが……
現段階ですでに、突拍子もない単語同士を掛け合わせることで独創的なイラストを生成させている人がたくさんいます。
となると、直近で目立つようになるのは
「AIにオリジナリティあふれる単語を放り込める、語彙や発想の豊かな人」
かもしれません。
また、自分が求めるイラストを生成させるためにはどのような言葉をチョイスすべきなのかを模索している人もいます。
これが高じれば
「要件に沿ったイラストを生成させる単語群を思いつける人」
が頭角を現すことになるでしょう。
そしてそもそもこうしたAIはプログラミングされているわけですから、どのようなコードを書くかで随分性格も変わってくるでしょう。
そして、そうしたAIの「中身」を人間が作っている以上、それは特許のように価値ある情報として厳密に守られ、あるいは高額で取引されるでしょう。
それを生んだ人自身も。
重箱の隅をつつけば至らないところもまだあるのかもしれません。
ただ、忘れてはいけないのは、こうしたAIらは「こんな複雑なことが簡単にできます」という新規開拓のシンボルであって、その正確性や多様性、用途やコストはまだ俎上にも上がっていないということです。
これって実際すごいことをやっているし、現状何が足りてないとかではなくて、この萌芽をどのように活かすかが将来の最も大きなポイントであることは間違いないと思います。
このAIがやっている挙動を見ていると、検索エンジンが「もしかして:」と表示してくれる検索内容や、YouTubeが視聴履歴を見ておすすめ動画を出してくれるのと同じく、「絵にしたい要素を汲み取ってそれらしくまとめ上げる」を超スピードでやってくれています。
ただ、そのアウトプットを見てどう考えるかは変わらず人間がやらねばならないことです。
単純な例だと……スマホで色を調べるとしましょう。
「なんというか……まず、赤で……暗めで……
色褪せているわけではなくて……
茶色に近いタイプではなく、あくまで鮮やかで……
艶?深み?があるような……
そんな赤はないだろうか」
→「えんじ色」
みたいな。
いや、「えんじくらい知っとけよ」とお思いかもしれませんが。
検索エンジンは優秀ですから、ネット上のいろいろな情報を一覧できて、自分が求めているものが(高い確率で)出てきます。
ただし、ここで「あ~そうそう、この色」で終わらずにもう少し調べてみると、別の要素がわかってきます。
えんじ色、バーガンディ、#9B003F……
「そんな表現のしかたもあるのか」と気付けることもあるし、その前に満足して立ち去ることもあると思います。
AIを利用する人間も、それは同じだと思います。
結局のところ、我々はAIに負けたとか能力を奪われたとかではなくて、
「AIがある社会でAIとどう付き合っていくか」に直面しているわけです。
識字率が上がり、写真が普及し、電話が携帯できるようになり、今やネットで影響力を持って発信する機会が誰にでも当然のようにある。
これまで連綿と続いてきた歴史のように、これからはAIを操ることでコミュニケーションが行われるようになる、ような気がします。
というわけで、AIで何をどうできるのか、なるべくしっかり考えてみたいと思います。
もしかしたら良いアイデアが出るかもしれませんからね!
これはビジネスチャンスか~~~??
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