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贈りたいものがあります

ネット社会に身を置いて、もうだいぶ経つ。

まだ、さほどSNSが普及していない小学生の頃は「ネットの人は怖いよ」と両親に言われたような気もするし、授業でインターネットを扱う際は「ネットの情報は嘘なので本を読みましょう」とか「インターネットを通じて人と知り合うのは危険です」など散々に言われていたような気がする。

今や、母親は趣味であるフィルム写真をInstagramにアップし、いいねをたくさん貰うようになったし、そこで知り合った趣味仲間の話をすることもある。
小学校や中学校の頃の先生とSNSを通じて情報交換することもある。

また、高校生は高校に入学する前に、その高校に進学する同級生とLINEやTwitterで予め知り合っておき、入学以降のコミュニケーションを円滑に進めている場合も少なくない。
わたしの頃もそうだった。


かくいうわたしも、「好きな作品」や趣味である「短歌」を通じて、たくさんの人と話をするし、ネット上で繋がっている。

なかでも6年くらい付き合いのあるフォロワーがいる。
人気の漫画を通じて知り合い、その漫画への熱量がお互いに無くなった今でも繋がっていて、アカウントを変えてもやはり繋がっている。

彼女が何を好んで食べているか知っているし、好きな映画も好きな音楽も知っていて、普段なにをしている人かも知っている。
Instagramも交換した。
LINEも交換した。
AppleMusicのプレイリストも共有した。
文通もして、お互いの住所も知っている。

長い付き合いで、ここまで詳しく知っているフォロワーというのも他にいないので、そういった点で彼女は「特別」である。

先日、その彼女から「送りたい和菓子があるのにめちゃくちゃ激戦で全然買えない」と言われた。

死ぬほど嬉しかった。

「和菓子が貰えるかもしれないこと」に対してではなく、彼女が日常で/生活していくなかで、「わたしに和菓子を送りたいと思ってくれたこと」に対してだ。
「送りたい」と思ってくれたことがとても嬉しかったのだ。

偶然にも、わたしも一緒だった。

商業施設をぶらぶらしてると、彼女が好きそうな恐竜のキラキラしたキーホルダーや、恐竜のマスキングテープを見かけることがある。
そのたびに、恐竜が好きで、初めての知育菓子に「たべる図鑑  恐竜編」を選んで作っていた彼女のことを思い出して、「送りたいな」と思うのだ。

クラシエの「たべる図鑑  恐竜編」

和菓子の件を聞いて、半ば興奮したように「わたしも!あなたに送りたいと思うものがある!」と伝えると、彼女は「生活の中でわたしを思ってくれることが嬉しい」と喜んでくれた。同じだ。

お互いに「贈りたいと思うものがある」という話をしているだけで、実際にそれを送ったわけではない。

だけど、「贈りたいと思うものがある」というだけでとても嬉しくて尊い。

先日読んだエッセイに「フランスでは『贈り物』と言うと物を贈るだけではなく言葉も含まれる」とあった。
ひとを喜ばせるために贈る言葉も贈り物になるらしい。

短歌を詠み、普段から言葉を扱う者として「言葉」は大切にしたい。
誰かをむやみやたらに殴るだけではなくて、ふとしたひと言で喜んでもらえるように。

贈りたいものがあります。
それは物で、ときに言葉です。

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