架空でも母


わたしの母は内科に勤めている。
場所柄、お年寄りの人の来院が多い内科である。

従業員の家族はそこでワクチンを打つことができたり、健康診断を受けたりできるため何度か行ったことがあるが、待合室の80%ほどは腰の曲がったお爺お婆であった。

待合室で待っていると、耳の遠いお年寄りのためにゆっくりと分かりやすいスピードで、大きなはっきりとした声で案内をする母の姿を見ることができる。

母があれほどゆっくりと、しかもはっきりと話すことなんて家族間ではありえない。家では「あれ取って」などと曖昧な指示語を駆使し、曖昧な指示を出す。
そのくせ、わたしが「あれってなによ」と聞き返すと、「そこにあるやん!」とやはり曖昧な指示語を使ってキレてくるのだ。
理不尽なことでキレると言えば、『鬼滅の刃』の鬼舞辻無惨というキャラクターが「じゃあどないすれば正解やったんか~!?」みたいなことでキレてくるのだが、このときの母も鬼舞辻に負けじ劣らじの理不尽さを兼ね備えている。
そうした理不尽な怒られが発生し、こちらも不機嫌になるため、毎回「アレじゃ分からんやろ!」で終わる。大抵こういうとき、母は耳かきを探していることが多い。

そんな母が理不尽鬼の顔を隠し、職場では迷える弟子を導くゴーダマシッダールタのごとき柔和な笑みで患者さんに向き合っているのだ。
「ほ~ん。母にもこういう顔があるのだな」と思い、ワクチンの接種を終えて受付に行くと、持って来なくてはならなかった書類を忘れていたために、先ほどまでシッダールタだった母が急に夜叉みたいな顔になり、「はあ~?しっかりしなさいよ」と叱咤を受けることになってしまった。

娘のわたしから見て、母の人当たりの良さ(コミュニケーションのうまさ)は羨ましく、今の仕事は母に合っているように感じる。
以前、こっそりとGoogleで内科を調べ、口コミを見たら「受付の人が優しい」などという褒め口コミを見たことがあるのだ。自分のことではないがなんとなく誇らしい気持ちになったことを覚えており、それも相まってやはり、母には向いていると思ったのだ。

しかし、母はそうではないらしい。
塾のアルバイト、学校での勤務をしているわたしにいつも「いいなあ」と言うのだ。

なにがいいと思うのか尋ねてみると「元気になれそうじゃん?」と返す。
「別にいいんだけど、毎日のように何かしら不安や病気を抱えている人に接していると、やっぱりどこかで元気が吸い取られていっちゃう気がするんだよね」と母は続けた。

そんなものかな、と思う。
たしかに生徒たちはすぐに盛り上がってくれるし、週末に遊んだ話、行ったところなどを教えてくれて、エネルギーに満ち溢れている。
週末は家にこもってダラダラと時間を無駄にしているわたしよりも、有意義な一日を過ごしている。生命力そのもの!みたいな子どもたちと一緒に勉強したり、話したりすることはたしかに楽しいが、「うらやましくなるほど?」と思ってしまうのは、まだわたしが若いからなのだろうか。

この手の話を毎回するたびに母は「あ~、高校の食堂のおばちゃんになろうかな」と冗談めかして言う。
この瞬間、架空の高校の食堂で働いているif世界の母が隣を歩いていて、「アンタ、テスト何点やったとね!?」「はあ~!?まあ、おまけで唐揚げを付けちゃるけん元気だしぃ!」などとコテコテの方言を使いながら、母はテストの点が悪かった架空の高校生と会話している。

わたしの高校にはテストの点なんてデリケートな話題にまで突っ込んでくる食堂のおばちゃんはいなかった。
母ならやりかねない、と思う。
食堂でアイドルおばちゃん職員として人気を博している母が容易に頭に浮かぶ。

母が若々しい気持ちでいてくれて、元気であればなんでもいい。
そういうことを思いながら、ハンドケア用品とスキンケア用品のセットを買った。
今年も母の日がやって来る。


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