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デカビタと曾祖母、サンボマスターと関学大軽音「絶対生きるもんズ」、踊ってばかりの国と岡山

ここ最近、夕飯を食べながらトークサバイバー2を見ている。この番組の主題歌はサンボマスターの「笑っておくれ」なのだが、ふとサンボマスターを耳にすると関学大のコピーバンド「絶対生きるもんズ」を思い出してしまう。なので、NetflixとのYouTubeはセットで観ることが多い。無性に、粗削りで荒々しいサンボを聴きたくてしょうがない。そう、思わせるのはこのバンドしかいない。

デカビタを飲むと、私が幼い頃に亡くなった曾祖母を思い出す。ほぼ100%の確立で。その理由は分からない。なぜか、デカビタをトリガーとして曾祖母の事を思い出す。曾祖母は優しかったが、ここに特筆できる思い出がある訳ではない。それなのに、デカビタを飲むと無条件で思い出してしまうのは何故なのか。26歳になった今でも分からない。

ある音楽を聴くと、その当時の事を思い出してしまうこと。皆さんにも、そんなタイムスリップの経験があると思う。私にも沢山ある。スピッツの「さわって・変わって」を聴くと、19歳の頃に東横線で好きな女性に思いを馳せていたこと。大学2年生の頃に宇都宮で好きな人へ告白したが玉砕し、帰り道に聴いたフジファブリックの「Bye Bye」。きのこ帝国の「金木犀の夜」で秋の夜長を思い出したり、星野源の「くだらないの中に」でプールからの帰り道を思い出したり。そんな音楽たちと、それに紐づく思い出で私たちは形成され、今日を戦っている。

昨日、3枚で2,000円のCDをメルカリで買った。先週、神戸のレコードを6店舗ハシゴして7inchのレコード2枚と、キューバ音楽の本を買った。占めて1,800円。音楽への愛が仕事をするにつれて薄まっている気がする。休職していた頃に比べれば、音楽を聴くこともラジオ聴くことも減っている。それでも大事な音楽は、決して離れやしない。

踊ってばかりの国の「Boy」を聴くと、岡山のレコード屋を思い出す。良い時も悪い時も、私を支えてくれる音楽が今ここにある。それだけは、何があろうと変わることはない。

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