近況誌vol.1『〜四月上旬』

 迷子にならないように。

最近の私

 人生ウン十年の中で、これほど主体的に行動した事があっただろうか。最近になって、ようやっと自分事として生きるようになったなと感じるのだが、同時に新鮮な刺激が多すぎるという問題も生まれている。
 あまりに多量の感情が、時を同じくして我が身に降りかかるものだから、咀嚼しきれずぐちゃぐちゃで、供給過多のまま整理をつけず上書きしていくのは怖い。ために、文字に書き起こしておく。
 振り返った時足跡が見えるように。

  • アルバイト先を変えた

  • 家庭環境の罠

  • 演劇と自主企画

  • 恋愛をかじる

 ざっと四トピック。自己基準で軽い順に挙げたので、その通りに書いていこうかな。なお、感情ベースの語りになるので、そこは悪しからず。こんなに読む人いないだろうけど、読める状況を作っておくのが大事かなという判断である。

アルバイト先を変えた

 約一年半続けたバイトをやめた。パフォーマンス低下に伴う自己肯定感の減少が直接的な原因。端的に言えば楽しいヨリミチじゃなくなってしまった。

 パフォーマンス低下の理由はいくつか考えられる。花粉症も大きな理由だろう。ただ、一番考えたのは労働の意義が明確になったからかな、とか。
 それまでは菓子とかゲームとか、QOLを上げるだけ=あってもなくても困らないものだったものが、後述の自主企画に、と使用用途が定まり、かつ働かなくてはいけないという状況に変化して、それが別角度からプレッシャーになっていたのだと思う。じゃ、生きると直結したらどうなんだよ。

 仕事を深めるフェーズに入っていたのも問題で、できるとできないの釣り合いが取れなくなっていた。初期評価が仕事が出来る方だったのもよくなかった。
 そのくせ変に慣れてしまっているので、雑念が増えるばかりで悪循環、毎週末が憂鬱で仕方がなかった。

 で、辞めるか続けるかを悩み始めたのが一月下旬くらい。こんなんで逃げてたら将来どうすんの、という思いが決断を鈍らせていたのを覚えている。でも結局、色んな経験をしておいた方がいいなと。別にこだわった所で死ぬわけでもなし、気楽に考えていいだろうということで退職。

 接続に手間取って一月程ニート期を挟んだ為初日の緊張は大きかったけれど、まあ何とかなっている。社員さん方がいい人ばかりで、ここでも優しさに甘えてしまいそう。
 図らずも充電期間を儲けられたことで、精神状況もちょっとは良くなったんじゃないかな。

家庭環境の罠

 私は家庭環境に恵まれているのだという自覚があるのだが、一方で手放しに褒められるものでも無いのかも、という思いも出てきている。
 (私よりよっぽど劣悪な家庭環境に身を置いている人からすれば贅沢すぎる悩みに思えるかもしれないが)家族が心理的負担になっているのでは、という疑念。劣等感の刺激と焦燥感を膨らませる煽り、目の敵にされているが故の嫌味……と、一つ一つは些細なものでも、積み重ねによって許容量を超えてしまったのではないか。

 そしてなんちゃって介護の存在である。初め、私がもう少し若く感受性豊かな時期にこれに直面していたら刺激が強すぎただろうな、と思っていたのだが、どうやら今も充分影響を受けることができたらしい。

 人生の終着点、その解答例としての虚無は、否応なしに死を想起させられ、生きる理由を考えさせられる。なんのために生き、どのように死ぬのか。今まさに人生の岐路に立たされようとしている私には、尽きない悩みである。
 『ヒーロー』で提示した問題であるところの、死は救済という考えは(少なくとも今の私には)存在しない。どちらかと言えば自分事、私自身がどうするのか、を問いかけられているという認識が強い。避けられない終わりを座して待つだけは嫌だと、「死にたくない」の解像度が一段階上がったと感じている。

 これは春休み中一番考えた問題で、でもマヒしてきている自覚もあって、今のうちに纏めておきたいのだけれど、いざ文字起こししようとすると言葉が出てこないな……。

 また別でまとめるかも。

演劇と自主企画

 企画立案自体は昨年十一月だが、本格始動は四月に入ってから。この間にすでに約半年が経っているわけで、当初と今とで変化しない感情と変化した(増えた)感情に挟まれている。ねらいや夢はいったん置いておいて、ここでは感情ベースの話を書いておこう。

 劇団企画にしているのは日和っているから。本気になりたい自分と、冷静な視線を向ける(弱気な)自分との妥協点。演劇が好きで、まだまだやりたいことがあって、世界に証明したい。でも、できるかわからない。とりあえず、と言う予防線を張っておかないと……。
 傲慢だけど、俺が一番うまく使えるという思いもある。一番輝かせられる。だから今世界に見つかり始めていて、祝福と同時、焦り始めている。前のめりになっていて、感情に身体が追い付いていない。

 本気で何かに挑戦した経験がこれまでの人生になくて、必死になろうとしている自分を冷笑いしている自分がうっとおしい。スローガンに上げた“全力で”は、自分に言い聞かせている。

 走り始めた今は、案の定目指すゴール/目指したい夢/通過点がごちゃごちゃになっていて、モチベーションの維持に苦戦している。前のめりがここでも効いていて、遅々として進まない現状に歯がゆさを感じている。
 一方で根拠のない自信もあって、こんな最高な企画にタダ乗りできるなんて最高だろ、と言う思いもある。お前らが来い。

恋愛をかじる

 初手をミスっている。
 前述のなんちゃって介護中の無言の問いを強く意識した三月一日。もし今死んだら後悔することは何だろう、という想像でよぎった顔。急に俺がデートに誘ってきたら面白いなという当たり屋みたいな発想を、寝て起きてまだその気持ちが残っていたら誘おうと決めて床についたのを覚えている。

 この時点では本当に本当にってなんだよ好きなのかわからない状態で、何故か(失礼)デートが成立したので、自分の感情に整理をつける&相手のことを知ることを目的に設定した。

 結果は「劇毒」に書き記したのでここでは言及しない。ただ、感情は変わらず迷子だ。正直に書けば、めちゃ好きな自分と心底どうでもいい自分、それらを冷静に認識している自分が喧嘩をしている。

 一番外側に存在する思惑として、激変した環境に潰されないように、意識をそらすデコイとしての役割を期待した醜い自分がいる。恋心純度百の行動ではない、という自責意識。
 でもちゃんと好きだ。架空のSDGs「自分の感情をおもちゃにするのはやめよう」いや言ってる場合じゃなくて。

 過程をすっ飛ばしてデートに行ってしまったのがより事態をややこしくさせている。自業自得だけど。誰だよこんなことにしたやつ。

 今一番意識しているのは、このまま終わらせたくないという意地。関係がプラスかマイナスに進展させて、正しく終わらせたい。自分で蒔いた種なので、責任をもって処理……でも嫌われたくない、カッコつけたい。勿論プラスに持っていきたいわけで、もうどうしたらいいのかわかんないよ。

総括

 色々感情を書き起こしたけれど、一言でまとめると、人生が楽しい!なんかようやく人間になってきた気がする。すごい。
 あと、後半勢いで書いたので温度差が酷いかも。

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