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常識・慣習・過去から逸脱すべきか(v5-7 もぐらさんの悩み)

7月8日。土曜日。会社お休み。なので、もぐらさんには出会いません。LINEが来まして、今日はお知り合いのお葬式、とのこと。悲しく、でも、楽しく充実した人生だったのだろうと思え、涙と共に見送れる穏やかな気持ちになった1日でした、とのこと。ボクもいつか。もぐらさんも、みな、いつか。人間を不死にできるなんて考える科学者も出てきているようですが、ヒトも動物も死ぬから地球が、多様で豊かな地球が維持されますね。

で、弔辞の方が、見た目ユニーク、前後の常識的挨拶も無く、奉書紙も無く、考えながらと言っても見えないところで練習されて来たのだと思うのだけど、故人のやんちゃな武勇伝的な、若い頃の、笑える話だけを思いつくままにぺらぺら。感謝も家族を想う言葉もない。お別れの場でどうなのかな、と思った、とのこと。喪主の奥様、家族、親戚の前で、品の無い話。でも、もぐらさんもうっかり笑ってしまい、楽しい人生だったのかな、と思え、悲しみがちょっと薄れ、「逸脱」もありか、と思ったとのこと。

今日の悩みは ”逸脱ってどうなの?”、です。

案1:
逸脱が、発見や、進歩や成長を生むのはその通り。チェスや将棋で、AIににやらせると、人間が過去にやったことの無い手を指すらしいのです。で、AIを使って不正をしていないかを暴く監視員は、そんな手は知らない、というのが出てくると、不正ではないか? AIを使っていないか?って、チェックするらしい。つまり、逸脱すると強い・勝つ、ということなのですね。世界最速の男:ウサインボルトの走り方も他のひととは違うという説明を読んだことがあります。守破離
師匠の型を学び、他の型も学び、それらから離れ、逸脱し、自らの型を発展させる。人間社会が発展しているのは(良い面も、悪い面もありますが)、誰かが、逸脱しているから。現状に甘んじず、常識・世間体に縛られず、過去を踏襲せず、変える。逸脱する。

あるいは

案2:
逸脱は原則ダメ。過去からの積み上げで今の型があるのです。長い年月をかけて、先人の方々の英知が詰まって、型ができあがったのだから、それを踏襲する方が成功確率は高く、また、他のひとにも受入れられる。リスク、危険、冒険をおかす必要は無い。万が一にも逸脱が成功を生む可能性はありえるが、非常に限定的。歴史に学び、常識に倣い、逸脱しない。ここに価値がある。one of themでよい。過去からの積み重ねを踏襲する。

あ、でも、もぐらさん、ボクは思うのです。案1でも案2でも、どっちでも良いと。ひとそれぞれですね。一方の考え方、人生じゃないと幸せになれない、なんてことはない。人生に「正しい答え」なんて無い。それに、第三の選択肢もあるかも。。。みなさまはどうなのかしら。

大切なのは:
1.
自分に素直に正直であれば良いのです。だから今の自分はこっち。わからない時は迷えばいいし、それから、えいや、でどっちかにすれば良い。結果から学ぶのだから。そして、何らかの経験・学び・気づきから、変わりたくなった時には変われば良い。変わる自分を楽しむのが人生だ。

2.
それに、正解は1つでは無く、自分も迷い、時と場合で変わりえるなら、他人も同じ。自分と違う考えやスタイル、らしさを批判しない、差別しない、受け入れよう。分断は後回し。類似に焦点。

3.
そして、大切な家族/恋人/仲間/友人が悩み、辛さを感じるその瞬間に、心を楽に落ち着かせ安心させられる温かい言葉を選びプレゼントする。正解は1つではなく、複数あると考え、相反する考え・言葉を心に蓄積しておこう。その時のために。

そんな風に思ったりします。みなさまはどうかしら。。。

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