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リーダー/専門家は誤判断するもの。だから仲間との平等関係に頼る(ベターアイデア? v3-83)

Netflixで人気の「弁護士」ドラマを見た。韓国のドラマ(ちなみに「ウ・ヨンウ弁護士は天才肌」)。おもしろく、暖かく、考えさせられるところもある。

一方、最近読んだ本が、「判断あるところに常にバラつきあり」・「専門家であってもバラつく」をテーマに、医者や判事や色んな審査官の判断について、えええ?そんなにバラつくの?という数値を紹介している。

今日読んだページでは、医者が午前中と午後で癌の検査をちゃんとするように指示する割合が変わる、とか。そりゃ午前中は時間があるが午後はなくなるし、疲れてくるから、わからんでもない。マンモグラィ診断の結果で癌を半分以上見落とす医者もいるし、まったく見落とさない医者もいる。逆に乳癌ではないのに癌だと6割以上診断されるケースもある。一人の人で都度バラツクし、同じ専門家でも人によってバラツク。

専門家である「医者」にはそんなことは無いはずだ、「”先生”はちゃんとしている」と先入観を持ちがち。でも、ま、普通の人間ですしね。人生経験でもあまり再度診てもらいたくないお医者さん、いらっしゃいますものね。

なお、この本は、そのバラつきが発生する構造、例えば、その判断者の変わらない普遍的なクセや特性、あるいは、前後の何らかの現象によって影響される機会的なこと(好きなスポーツチームの勝敗とか、午後は疲れてくる、など)や、減らす仕組み・工夫も紹介している

(「ノイズ」(ダニエル・カーネマン他著、村井章子訳、早川書房))

そんな本を読みながらの冒頭の弁護士ドラマを見ていたから、楽しさ・爽快感とともに「怖さ」を感じた。主人公の弁護士の天才的なひらめきや、普通の弁護士が覚えていないような法律への記憶力で、解決する。その結果は、だいたい、正義的や道徳的に正しい、と視聴者が思う喜ばしい判決結果になる。だから爽快。でも、あれ?ということは、このひらめきや異常なまでの記憶力が無かったら、正しくない結果になってしまう。ドラマだからどうでもいいけど、現実はどうなんだろう。この本の通りなのかも。結局、偶然に左右される、ということか。。。

偽造小切手の現金化で有罪になった前科の無い2人の例で、35ドル着服したひとの量刑は30日。一方、58ドルほどを着服した方は量刑15年。他の似たような着服事件で、ひとりは懲役17日、もうひとりは20年(この本での事例)。どうだろう、ボク的にはこの差は許容できないレベルで、かなり衝撃的。犯罪なんだからしょうがない、で許されないレベルのような。

それも、昨日好きなアメフトチームが負けた、とか、被告の人種とか、朝、夫婦喧嘩してからの裁判だった、今日は忙しかったから、とかそんなことで左右されることもあるらしい。怖い。

ガンを癌じゃないと言われるのも怖い。ちょっとした事故(法律違反)でのこの量刑の差も怖い。人生、運以外の何物でもない、そう思ってしまう。ドラマのように天才弁護士に出会わないと。でも、天才になんてほとんど出会えない。。。

そして、もっと「怖い」のはこういう話が、無難な、行動しない、挑戦しない方向にボクをシフトさせること。「ボクはこんなの信じないぜ!」というマインドになれたらいいけど、ノーベル経済学賞も受賞している著者の紹介するデータだし、疑問に思えず、人間というものを鑑みると、理解・納得できる。うーん、「人生無難に生きる」方向へと考えをシフトさせそうだ。

例えば:病気にならないようにしないと。食事もバランス良く、外食控えて。セカンドオピニオンもそうだけど、サード、フォースも必要だ。行動少なく法律違反しないようにしないと。車も法定速度守って、時間に余裕持ってゆっくり行動。仕事も忙しくするとミスも増える。チャレンジせず・無理せず、できる作業だけ。。。みたいな。。。

でも、踏みとどまる。いやいや、そう考える必要はない。難しい勉強して試験に合格した専門家ですら、普通にバラつくんだ・間違うんだ。知らず知らずに。自分で気づかず。しかも、ちょっとした理由で。ならば、ボクなんてバラツキだらけ・間違いだらけ。

どんなに無難な生活したってバラツキだらけ・間違いだらけ、なんだろう。なら、ある意味怖いものなしだ。なんだってやればいい。その結果、事故・失敗などにつながったら、上司や第三者に怒られる・裁かれる立場になったら、その考え・判断は本当に正しいですか?を念頭に、無暗に受入れないようにしよう!そして、その人の贔屓のスポーツチームが勝った後で、疲れていない午前中で、なんかイイことが起きた後ぐらいに裁いてもらうようがんばろう!

むむむ。というか、あれ、こんな話、当たり前か。。。人間社会にある、媚売る、ゴマする、しっぽを振る、機嫌をとる、太鼓持ち、普段から贈り物をする。人間ってものは気づかずに自分は正しいと勘違いして簡単に判断を誤るから、それを太古の昔から人間は直観的に知っていたから、だから、こういう諺があり、こういう行為を相手にしてきたのだろう。円滑な人間関係をつくるために(=自分に得する判断を誘導するために)。

専門的で、中立的な、平等な、公平な判断をする人たちも、判断が日々バラつくのだから。

先週金曜日、お客様から打ち合わせ前に贈答品をもらった。和菓子。業界の現状課題・将来をどう考えているか、そのお客様のサービスに将来発展の可能性はあるか、どう思うか、色々教えて欲しい、という感じのインタビュー的な情報交換。あれ、知らず知らずに無意識にそのお客様のサービスを高評価に答えていたのカモ。和菓子もらったから。洋菓子派だから洋菓子だったら、もっとべた褒めだったのかも。知らず知らずに。。。

今日のベターアイデア:
この学びをリーダーの仕事に紐づける。リーダーの仕事は:
1.1人では何もできない現実を理解し
2.魅力的なビジョンを示し、
3.それに集まってくれた仲間・社員に感謝し、
4.共に人格的に知性的に成長しながら・支え合いながら
5.会社ビジョンと仲間・社員の夢の両方の実現を目指し
6.日々、種々、判断し・行動していく。

つまり「判断」はリーダーの重要な仕事。ビジョンに照らし、利他主義に照らし、日々「判断」する。でも、バラツクのだ。間違えるのだ。悩ましい。だから、仲間・社員との対等な関係が必要。裸の王様はだめ。独裁はだめ。自分の判断に左右されない仲間の独立した判断を推奨し、独立した判断ができる環境をつくる。それらを集め、自己直観的を排除し、複数の独立意見を集めてじっくり検討する。

そして、昨日、自分の、贔屓のスポーツチームが負けていないか、家族や恋人とケンカしていないか、に気をつけて。そして、疲れが貯まってくる午後ではなく午前に判断するよう、気をつけて。ベターアイデアだ。

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