見出し画像

悩む選択 v2-64:人間の創作は無限。人間の破壊も無限。しょうがない vs 自然はどうにか大切にしたい

今日の悩み:
A.
もはや手遅れ。個人のチカラではどうにもならないし、生活するには自然破壊は仕方ない。人間の創作意欲も止められない。自然破壊もセットにならざるを得ない。

B.ありきたりだけど自然を大切に。自業自得にならないよう個々人がどうにかしなければ。

先日、軽井沢でゴルフしたのです。自然破壊された場所で? 80歳を超えた大先輩と、70歳を超えた大先輩。大きな会社の経営者だった方と、今も現役でお家を立てる職人さんと。職人さんは腕っぷしが強くて、11月でちょっと寒くなっている軽井沢でもグローブもしないで、素手で、ゴルフで使うクラブと呼ばれる道具の棒を握って、ぶんぶん振っています。無骨だけど、おしゃべり下手だけど、人見知りだけど、かっこいいです。

で、それはどうでもよいのですが、紅葉がキレイだったのです。空気は澄んで、ちょっと冷たくて、青空が広がり、キレイでした。もちろん日本には軽井沢よりももっときれいなところ、空気が澄んだところ、多々あるでしょう。それに、ゴルフ場の紅葉がキレイ、と言っても、それはゴルフ場だから人工的でしょ、言われればそれまでです。もちろん自然のままを活かしているところもありますが、自然の木々を活用して、植えて、人工の景色を美しく作っています。

でも、ゴルフ場から見える、本当の自然の景色も断然、キレイなんです。浅間山とその麓の木々。

ボクも人生半分ほど?に来ました。自分の父が亡くなった年齢まであと10年。あと10年で死ぬつもりで生きています。もうすぐです。だから、色んなことを経験したいとともに、最近は理由が自分でもわかるようでわかりませんが、古いモノをちゃんと知っとかないと、という気持ちがわきあがります。「古典の古典」ほどでもないけど、「古典」と呼ばれるものを読んだり、見たり、聞いたりしたくなるのです。

例えば、古事記、日本書紀までは戻らないが、漱石とか太宰とか。ソクラテス、アリストテレスまでは戻らないけどシェークスピアとか。ま、ルールはしっかりないのだけど、昔からの作品に触れたいな、みたいな。中学生、高校生のころに読んだ文学作品本を取り出して読んだり。死ぬ前に読んどかないといけない本はなんだ、みたいな。

父がガンで亡くなる時。とても映画好きな父で、ボクが幼稚園の頃から映画館に連れていかれて、ボクは小学5年生の頃には一人で映画館に行ってました。「小学生1枚」と言ったら(あ、ネットではチケットは購入できない時代です)、毎回、信じてもらえなかった。。。

で、例えばだけど、スターウォーズなどの連続ものが、あ、父はもう見れないんだな、最後がどうなるかわからないんだな。。。と思った記憶があります。ですので、最新の連続ものは、だんだん見ることに抵抗がでています。一方で、昔見て感動した映画をもう一度見て感動するかな、なんて思って、見返しています。

こんな気持ちのボクが、昔の作品を振り返るのですが、限界はるあるのです。つまり、例えばの例えばなのですが、クラシックや、突然ですがビートルズは聞きたいと思わないし、戦前の映画は見ようとしない。今の音楽や映画の基礎になるような取り組みがなされていたにせよ。

つまり、昔を知りたい、再確認したい、と思っても、限界があって、だんだん昔のことって忘れ去られるしかないですよね。当たり前なこと言っていますけど。どんどん新しい作品が蓄積し、且つ、技術進歩でより簡単に創作できるようになり、追加される量が半端じゃなくなります。昔のものは忘れられるしかないですね。「累積」「蓄積」に限りは無いです。100年後、1000年後に、ビートルズは覚えられていないですね。

80歳を超えた、70歳を超えた大先輩とボクの好きな映画やバンドの話はできないですね。知らないですもの。世代ギャップです。でも、古典ならできる可能性があります。そしてキレイな紅葉の話はできます。自然は偉大ですね。100年ほどでは変化が人間には感じられないですね。

「キレイですね」「気持ちい空気ですね」「本当ですね」「こういうのはずっと残るのですかね」「そうあって欲しいね」ってこんな会話をゴルフ中に何回もしました。

オルダス・ハクスリーの「すばらしい新世界」やジョージ・オーウェルの「一九八四年」な腐った人間社会になっても、自然は残って欲しいです。死後は自分には関係ないかもしれませんが。。。

人間の創作物も昔になればなるほど忘れ去られ、人間の破壊物(=あ、つまり自然です)も忘れ去られるのは、寂しい気がします。

人間の創作意欲、技術発展、科学進歩は止められません。人間の創作物は無限に増えていきます。紙の本も、フィルムの映画も、レコード・CDの音楽は無くなります。データで存在。無限に保存はできます。でも、忘れ去られることには変わりない。人間の自然破壊は止めたいものです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?