日本昔話の「三枚のお札」の山姥を見習う。自然にはやさしく(ベターアイデア? v3-34)
日本の昔話に「三枚のお札」という話がある。こんな話。なお、題名も含め、物語の詳細は各地で色んな違いがあるそうだけど、ボクが、高校で生物学の先生に教わったのは、これ。
お寺の小僧が、和尚さんに頼まれ、山奥に作物を取りに行った。山姥に捕まる。で、食べられる間近に、逃げ出す。神様(和尚)から与えられた3枚のお札に頼み事をして。頼み事は、山姥が追いかけてくるのを邪魔する障害物を作り出すこと。山姥が障害物を乗越えるのに時間がかかっている間に、無事にお寺まで逃げ切る。後は、和尚が山姥をとんちで欺し、食べてしまって一件落着。
で、この3枚のお札が作り出した障害物が、大きな山、大河、火の海。これらが障害物として現れ、山姥が小僧を追いかけるのを邪魔する。山を登って降りて、大河を水に流されず渡って、火の海をあちぃあちぃ、言いながら渡る。
さて、なぜ、この「三枚のお札」と類似の話が西洋にある、とこの生物学の先生。具体的な地域・国は忘れてしまった。
で、日本と西洋のこの同様の昔話に大きな違いがある、という。西洋の場合は、山姥にあたる妖怪・魔女は、山に大きな穴を開けてまっすぐ突き進み、川は埋めてしまい、火の海は消してしまう。
つまり、その生物学の先生いわく、日本では山姥と言えども自然には逆らわないが、西洋では自然を破壊して突き進む、というのだ。自然に対する考えた方の違い、だと。
日本の「三枚のお札」には様々なバージョンがあるようで、他のバージョンでも障害物となる自然を山姥が破壊していない、かはわからない。そして、他方で、西洋にある他の昔話でも。自然は常に破壊の対象かはわからない。西洋を一括りにするのも正しそうには思えない。
で、先生的には: 日本人を含め、自然を破壊しえるのは人間しかいない。人間の行為によって動物が自然を破壊することはある。家畜が逃げて、そもそも存在しなかった環境のバランスを崩す、とか。ただ、原因は常に人間。人間が危険。
ついでに面白い話。ゴキブリも研究していて、ゴキブリをたくさん飼っていた。真っ暗な中にコギブリを飼っても、いわゆる夜に動き、日中は動かない。真っ暗なのに地球の動きがわかっている、みたいな。他の動物も同じはず。真っ暗な実験室の箱に入れられることは自然環境ではありえないが、TVを見て夜更かしも無い。人間だけが動物から離れ、地球の自転の束縛から切り離されている。このことが危険なことか、どう進化するかはわらかないけど。
テレビをつけたら、テレビ東京の「世界!ニッポン行きたい人応援団」と言う番組で日本庭園を取り上げていて、思い出したのでした。
今日のベターアイデア:
日本人は、西洋と比較し、昔から自然を大切に、自然と人との営みの調和を大切にして来た、と思い、それを心地良く感じ、これからも自然を大切にしていく、と決意し行動するならば、その比較が正しいのか、不確かなのか、どうでもよく、今、将来に自然環境を大切にすれば良いと思ったのでした。山姥を見習いましょう。
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