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悩む選択 v2-52:自分は自分の思考を所有している? 所有されている?

今日の悩み:
A.モノゴト・状況を見て・読んで、自分の思考が自動的に無意識に現れる。これが答えだ。あ、でも、これって自分の「思考」に所有されていない?支配されていない?

B.モノゴト・状況を見て・読んで、複数の思考を思う。自分はこう思いたいが、別の思考もあるかな、って。これは自分が「思考」を所有している。

家庭、職場で、人生、悩ましい二者択一、二律背反、二項対立ってあります。「ANDの才能」を発揮し、両立できるとよいけど、でも、一方を取らないといけない場面も。ボクともぐらさんは会社の仲間。やさしいひとになり、そうあり続け、やさしいリーダーになり、組織を強くする、という夢を持つ。やさしさを学べる絵本「ぼくモグラキツネ馬」から互いをあだ名付け。この頃は、組織での二者択一の場面で、どちらであるべきかを考え中。

先日のnoteに、考えることって本当の自由、だよね、と記したような。職場や家庭でも、自分の本意とは違う行動をしないといけないこと多々あるけど、でも、心の中では自分は違う意見だよ、自分は自分を信じる、けど、ま、今回はこっちをしてあげるよ、って思える自由。物理的には身体は拘束されるけど、心は自由に思える。これって誰からも奪われない自由だよね。

でも、自分の思考も、実は自由ではなくて、縛られている、かもしれない。自分が思うこと、考えることも、無意識のうちに、知らず知らずのうちに、過去の経験や教育や習慣やで、思考のクセがついていますから。

パーティにひとりぼっちで行く。わぁ、新しいひとと知り合える。楽しい!って無意識に思うか。ひとりぼっちでどうしよう、と思うか。誰かとお話できるかなぁ。知り合いいないかなぁ、って思うか。なぜか、自分の考えが、気持ちが、決められている。誰に決められているんだ。。。

ひとりぼっちがダメなので「ひとりぼっちでどうしよう。誰かとお話できるかなぁ。知り合いいるかなぁ」と最初に思う。けど、次の瞬間には違う考えもあえて意識的に思えると良いですね。例えば:「ステキな女性に出会えるかも、ダメ元で声かけよう」、あるいは「今回はおしゃべり達者な役者だと思って演技してみるか」とか、「こうなったら寡黙を貫き、誰かから声がかかるか試してみるべし」とか、も色んな選択肢、考えられますね。

自動的に無意識に即、思考や感情が起き、その後に、他の選択肢は考えない特徴を持つ場合は、モノゴトや状況が常に所与で、普遍で、対自分的にはひとつの結論にしか到達しない、ですね。ちょっと損なような気もしますが、そのひとつの結論を受け入れて行動するのが、自分らしさ、ですものね。

でも、これは、その思考や感情に自分が「所有されている」という表現には該当しそうです。

怖いのは、そこに留まらず、自分以外のひとが他の考えや思考を持つことを受け入れない・信じない、そして拒絶する、馬鹿にする、などですね。これらが口に、顔に出ると、人間関係が壊れます。何かの達成を目指しているなら、達成プロセスが不愉快、困難、そして未達になりえます。ですから、こういう「自分らしさ」は有りですが、一方で他人は違う、家族・子供でも違う、そう思う必要があります。心理学で言う「離別感」かしら。

高校生のとき、「ベスト&ブライテスト(デイヴィッド ・ハルバースタム著、サイマル出版会(当時)」なる本を読みました。米国のケネディ・ジョンソン政権のベトナム戦争関係の内容。タイム誌が選ぶ1923年から2011年に出版されたノンフィクション作品ベスト100にもあります。

で、答えは1つじゃない、ということに、遅過ぎながら高校生で気づいたのでした。このベストで、ブライテストな人達でも、同じ情報を得ても、考えや意見が異なる、ことに。ま、当たり前なんだけど、アメリカ中の賢い人達が集まっても、「そっかー、答えは一つじゃ無いよね」、と思った。

気づくの遅いー。でも、受験勉強なるものに縛られ、答えは1つ、に毒されていたのでしょう。。

野球部でここはバンドだ、と監督に言われたらそれが正しい。受験の試験の答えは1つ。学校の校則は守るべき正しい唯一の答え。と、何も気にせずそう思っていた。ちなみに、田舎の市立の先生ごときなら過ちはあるよね、とも思ってはいた。

高校生のボクには、アメリカの、ハーバード大学出身で、大金持ちの成功者で、大企業も率いていて、そんな賢い人達でも、信念や立場で、意見は変わる、のが、なぜか新鮮に響いた。

それに、賢い=正しい、でもないし、賢い=利他主義、でもないし、賢い=魅力的、でもない、のね。

話変わって「なぜ人と組織は変われないのか」(ロバート・キーガン、リサ・ラスコウ・レイヒー共著、英治出版)という本で、人の知性を3段階に分けて説明してます。2009年の本でちょっと古いです。ちなみに、これ、日本を代表する世界の大企業の今年のマネジメント研修での推薦本ですって。

で、その3つの知性の名称が「環境順応型知性」、「自己主導型知性」、「自己変容型知性」ですって。レベル的には「自己変容型知性」がより高い、と定義しています。

で、この「自己変容型知性」のひとがステキです。

自分が持つ情報を受信するフィルターが、自己主導型知性の持ち主と違って、フィルターと自分が一体化していなくて、フィルターを通してモノゴトを見るだけでなく、フィルターと距離もおいて、フィルターそのものを客観視する、のですって。自分の思考の、自分のフィルターの、奴隷にはならない。

何事も完璧ではなく、ルールや秩序は不完全だし、矛盾や反対の考えも当然あるし、ひとつの”システム”(答え)がすべてに正しい、なんて思わない、のですって。で、そんな状況認識のもとで、対立するどちらかにくみするのではなくて、それらを統合しながら、自分をうまく形成する、のですって。

確かに、なんだか難しそうですけど、知的な気が。格好いいです。世の中不完全。自分も不完全。いろんな意見・考えがある。その中で自分は、他者との関係性で、どう考え、意見するか。それが問題だ!みたいな。

でも、どうやったらこうなれるのかしら。

最初の一歩は、冒頭のAかBかに戻って、自分がAでも、他の考えは思い浮かばなくても、違う意見も当然あって、答えは1つではない、と少なくとも思える、ことかしらね。

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