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悩む選択 v2-2:勉強って自分のため?誰かのため?

ボクともぐらさんは、大好きな人生の書である「ぼくモグラキツネ馬」(絵本)から互いをそう呼ぶことになった。そして共通の夢を持つ。やさしいひとになり、そう有り続け、やさしいリーダーになり、組織をやさしさで強くする夢。というのも、ボクももぐらさんも、職場では苦労をたくさん経験。身体も壊したし、涙もときに。ま、職場とはそういう場所かな、とはわかっているけど。でも、それを変えたい。

でも、こう変えたら職場がみな幸せ、なんて答えはない。正しいは無い。自分の信じること、今の自分が信じること、やさしい組織になるに信じることを実施するしかない。けど、答えが無いから悩ましい。人生は悩ましい選択肢や、どっちであるべきかが悩ましい考え方がたくさん。

今のボクともぐらさんはどう思うのか。どちらかを即答で選択できるのか、わからないのか。今と未来ではまた違う気持ちなのか。

今日の悩み:

勉強(学生時代も大人になっても)って誰のためにするの?

A.自分の将来のため!。”いい”学校に入って、”いい”会社に入って、より稼げるように、より安定した暮らしができるように。自分の幸せのためにするんだ。

B.世の中のより多くの人を幸せにできる力をつけるために、大切なひとのため、社会・世の中のためにするんだ。

Aと言われた方が勉強にドライブがかかるものなのか。Bと言われた方なのか。”正しい”説明はどっちなのか。相手によるのか。。。

ボクは、学生のボクはAだと思っていた。自分の行きたい高校に行って、大学に行って、学部に行って、留学して、いい会社に入るため。育て・学費を出してくれる両親に感謝、みたいな気持ちもない。当たり前のこととして他には何も思っていなかった。卒業する頃にはあの会社・あの業界に行きたいと思うようになって。そんな感じ。だから、学生時代までの勉強は何にも今、役立っていない。今、思うと小さな目標で、レールの上の目標で、それに対応した勉強だった。。。

他人のためとか、社会のためとか、思ったことは無い。たまたまのボクの選択に、両親も口出ししないキャラ。両親と同じ大学になって、それは喜んでいたようだけど。でも、親と同じ大学で喜ばせたい、なんて思ったこともない、偶然。誰かに役立てるから勉強した気はまったくない。

「親をはじめとする社会全体が、子どもの幸せを願うあまり、
 「自分の将来のために勉強しなさい」
 「自分の将来のためにいい大学に入りなさい」
 「自分のために〇〇を今のうちからやっておきなさい」
 自分の幸せのために生きるように教えこまれる~。」

(「「手紙屋」蛍雪編」(喜多川泰 著、ディスカヴァー))

社会人になって、仕事して、評価されて。学校の勉強の評価(=テスト結果や論文評価)は、先生が評価しているとは言え、なんか客観的なものと思っていた。部活で一軍になるとかも自分の結果次第。大部分において客観的。一方、会社での評価は主観的にしか思えない。学校の勉強、クラブ活動ほどに単純ではなく、そのために、どうも平等・公正ではない(と思わざるをえない)。人事考課制度を構築する部署や評価する上司は、がんばって公正・平等を担保しようとしているが、たいがい不完全。

上司の主観に左右されるから、部署(上司?)に貢献することを考えるようにはなった。ある意味、部署のため、上司のため、とも言えるが、社会のためとか大切なひとのため、とも思えない。業務を覚え、勉強し、経験を積み、挑戦している、のは、やっぱり自分が力をつけ、給料をあげ、役職をあげるため、だと。。。

自分の人生、自己責任。勉強しようがしまいが、どちらでも。自分の目標のために、それが達成できるであろうレベルで勉強。目標に縛られるけど、その目標は自分で設定し、その程度で終わらせた結果も自己責任。自分で決めて、自分で勉強して、結果も自己責任。終始、自分に関する問題、と思っていた。

でも、勉強は、結局は他者を幸せにするため、だと思い直した。もう大人になっていたけど。んん、大人になったから気づけることとも言えるかな。

「勉強しないで困るのは自分ではない。困るのは将来に自分のまわりにいる自分が大切に思うひと達」

「頑張って勉強しなさいよ。できなくて困るのはあなたなんだから・・・」「困るのが私なんだったら、ほっといてよ」なんて思ってしまった~。でも、困るのがあなた以外の人だとしたら?~つまり、あなたが勉強しなければ困るのは、あなたではなく、将来あなたと共に生きる人」だとしたら。

「たくさんの人が、勉強は、出世をしたり、より安定した仕事に就くためにするモノダと思っている。同時に、そういう職業に就けたら、追い詰められるような状況や、逆境とか、自分に不利な状況を、回避できると。でも実際には違う。~追い詰められる状況はやってくるし、逆境だってやってくる。」

「ときには逃げ場がなく追い詰められるようなこともあろうだろうし、逆境に陥ることもあるだろうし、何で自分ばっかりと思ってしまうような不幸な出来事が続くことだってある。~そのときに、たじろいで勇気をなくしてしまったり、心がヘナヘナになって力が入らなくなったり、絶望して明るい未来を夢見ることができなくなってしまったら、それこそ生きていく気力すらなくしていまう。そういうときこそ、心を強く持たないと幸せになんてなれない。」

「そんなときに心が負けない、そんな人になるめに、どんなときも心を強く、明るく美しく保つために勉強はある」。「逃げない奴になりたければ勉強から逃げない人になれ~。」

「やらなきゃいけないことは、いくつになってもやってくる~。~大人になっても、やらなきゃいけないことは日々やってくる」。「~やらなきゃいけないことから逃げる人~、そんな人と一緒になったら・・・どう?~やるべきことからすぐ逃げる~本人はともかく、それよりも、一緒になった奥さんやその子どもたちの方が困ることになる~。」

だから、勉強から逃げるひとは、社会人になっても、苦境から逃げるひとになり、家族や仲間、大切なひとに貢献できない。勉強から逃げず、逃げないことを学び、社会に出ても心強く、いろんな逆境・苦境が来ても引き続き逃げないならば、「~すごく大きな役割を持って、たくさんの人を幸せにする人生を送る~」。

(「ソバニイルヨ」(喜多川泰 著、幻冬舎)、「「手紙屋」蛍雪編」(喜多川泰 著、ディスカヴァー))

「~幸せを手に入れる方法は「自分のために頑張ること」ではなく、「人のために生きること」なのです。」

「人間は人のためにこそ、より強い意志を持って行動できるようにできています。これが人間のすばらしいこところ」

「人のために自分を磨いていこうと心底思えたとき、あなたは今まで経験したことがないような力を発揮することができます。」

「あなたの今日の頑張りが、将来出会う多くの人たちの人生を変えるんだよ。~、今日一日の勉強が、将来の世界を大きく変えることにつながる~。」

(「「手紙屋」蛍雪編」(喜多川泰 著、ディスカヴァー))

世の中を変える、多くの人に役立つ発明、発見、開発、改革、行動をしたひとは「逃げなかった」ひと。何かの社会課題を解決しようと、「ひとのためにと、今日一日がんばろう」と思って実行してきたひと。

学生時代は部活からも色々学べる。でも、学生時代はやっぱり「勉学・勉強」から逃げないことが重要なのだと思う。大人になってもですね。

大人になってしまったから、勉強、ま、ある意味、日々何事も勉強なんだけど、勉強って定義ではあまり無いので、仕事から逃げない、やるべき業務から逃げない、自分の夢から逃げない、大切な人との約束から逃げない、ことで、逃げないこと、と、他者のため、利他主義を”学んで”いこうと思う。

やさしいリーダーとして同じ職場の仲間にもこう伝えたいし、そう思って日々一緒に過ごしいきたい。逃げ出したくなることも多々あるし、逃げちゃうこともあるけどね。。。


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