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悩む選択 v2-49:人生に何を期待するか vs 人生から自分は何を期待されているか

今日の悩み:
A.人生に何を期待するか。何が得られるか。それが問題だ。何歳になってもイイ思いをさせて欲しい

B.人生から自分は何を期待されているか。自分の存在意義は何か。自分に課せられた期待と責任を意識する。それが問題だ。何歳になってもイイ思いを誰かに提供しないと

家庭、職場で、人生、悩ましい二者択一、二律背反、二項対立ってあります。「ANDの才能」を発揮し、両立できるとよいけど、でも、一方を取らないといけない場面も。ボクともぐらさんは会社の仲間。やさしいひとになり、そうあり続け、やさしいリーダーになり、組織を強くする、という夢を持つ。やさしさを学べる絵本「ぼくモグラキツネ馬」から互いをあだ名付け。この頃は、組織での二者択一の場面で、どちらであるべきかを考え中。

昨日、友人とゴルフに行ったのです。で、組み合わせで、66歳の方と75歳の大先輩と4人でプレーになったのです。

で、75歳の方、とてもスリムでカッコいいスタイル。最初から最後までゴルフ場を歩き通し。移動では電動カートは全く使わず。山あり谷ありを歩いていた。おそらく2万歩ほどか。しかも、さっささっさと。63歳ぐらいかな、と思っていたら。「もう75歳なんだよー。」とのこと。「ええええ!」

コロナ前は今より20㎏太っていた。で、今は、60kgほど。コロナ太りが話題になり、同じタイミングでドクターからも痩せましょうと言われ、一念発起。「70歳を超えたからこそ、やろう!周りが太るなら俺は痩せよう!」と心に決めたらしいです。

そこから、毎日、雨でも豪雨でも多摩川をマラソンとのこと。毎日やっている。だから「ゴルフ場を歩くなんてへっちゃら。今日も、マラソンしてきたよ。」とのこと。だから、60歳ぐらいに若く、かっこよく見えるのでしょう。笑顔も素敵でした。意思の強さに驚愕。

一方の66歳さん。脊柱管狭窄症で痛くて痛くて、ずっと車いすだった。ドクターには手術しても治らない、痛みは消えない、一生の車椅子との付き合い。と、言われ続けたけど、とにかく手術してくれと頼み込んで、最終的には手術してもらった。ただ、歩けないのは続くと脅された。「普通の医者は保守的なことしか言わないよね。。。」とのこと。

でも、自分は治る。治す。いつまでに治るか知らないけど。ってリハビリを続けた。こちらも当然ながら毎日、とのこと。歩き方はまだまだペンギン的で、股関節や膝が十分に屈曲・伸展はしていません。でも、遅い歩きではないし、ゴルフのショットの切れがあること。ドライバーというクラブで打つ、ゴルフのひとつの醍醐味の、ショットでは230ヤードは飛ばしていました。これってとてもとても飛ぶほうです。歩けるようになってからゴルフスクールに週1回通い出したとのこと。

「医者のいうこと聞いたらだめよ。自分のことは自分にしか責任もてないよ。してしまったことに対する後悔は時間が解決ね。でも、しなかったことの後悔はどうなるんだろうね。だから、やろうよ、ってことかな。」って

75歳さんも「そうそう、それに、自分には何歳だろうと負荷かけないとね。負荷かけるって本当大切だよ。」「ま、20㎏太っていた俺が言うなって?!でも、本当に毎日走っているんだよ。もう習慣。」って。

「いやぁーすごいですね。強い意志。自分のために自分を変える。まだまだモテモテでしょうねー」、なんて冗談言ったら、75歳さんから「まだまだモテたいしな、なんてな。ま、愛人に迷惑かけれないからだよ。あ、間違えた怖い奥さんな」。66歳さんは、「そうね。一人ならいいけどな。仕事もまだあるし。やり残しというか、終わらないな仕事は。」とのこと。

学び多い、大先輩との楽しいゴルフでした。

で、勝手ながら、ひととして、できたら誰もが読むべきかなとボクが思う本、V・E・フランクルの「夜と霧」(みすず書房)があります。「ドイツ強制収容所の体験記録」との副題がありますが、アウシュヴィッツでの恐ろしい体験での、人間の”静かな”心の”強さ”を描いています。

大先輩2人の話を聞きながら、この本のボクの記憶に残っているくだりが思い出されたました。ので、ちょっと紹介。高校生か大学生で読んで、一生心に残っています。

著者と同じ収容所の囚人代表が、夢を見ます。何でも望んでいいよ、という声が聞こえた。なので、収容所から解放されるのがいつか知りたい、と尋ねたら、夢の声は5月30日だよ、と囁いた。で、夢を見たのは5月の初め。5月30日が近づいても軍事情勢的に5月中の解放なんて可能性は無い。で、囚人代表は、5月29日に突然高熱を出し、30日に譫妄状態に陥り、意識を失い、発疹チブスで31日に亡くなった。

同じく収容所の医長が著者に語った話があります。1944年のクリスマスと1945年の新年の間の話。このいわゆるクリスマスシーズンに彼らの収容所でかつてなかった程の死亡者が出た、とのこと。過酷な労働条件も、栄養状態も、寒さや伝染病も関係なく、囚人の多数がクリスマスには家に帰れるだろう、と素朴な希望を身を委せた事実が原因。クリスマスに、家には、帰れなかったから・・・。5月30日と同じ。

目的がなくなり、自身の存在の意味もなくなり、「私はもはや人生から何物も期待できない」となると、失望、落胆に負けてしまう。

で、著者は言います。観点変更が必要って。「人生から何が期待できるか」が問題ではなくて、「人生から自分は何を期待されているか」が問題、とのこと。

自分自身がだれの人生にどう役立てるか、自分は「なぜ」存在しているのか、未来において自分が期待されていることは何か、その”責任”を意識すべき、と。自分の生命を放棄できない自分に課せられた期待と責任を意識しよう、と。

著者のこの考えで、二人を救った例を静かに語っています。一人は外国で彼を待っている子供への責任。一人は科学者で未完の出版物があり、それを完成させる責任。個々の人間を特徴づけ、個々の存在に意味を与える唯一性や独自性。それは例えば仕事や愛や。

上記のゴルフ場での尊敬できる大先輩2人。冗談っぽく流していましたが、家族や仕事への熱意、責任感、自分は必要とされている想い、も、チカラになったのでしょう。60歳だろうが70歳だろうが、未来が自分に期待している、その責任を果たそう、大切なひとのためにがんばろう、みたいな。

自分の夢、ビジョンに挑戦する、やれるか、自分に力があるか試してみる、もありますが、誰かのためにがんばる、と思えるとチカラって本当に湧きます。大切なひとのため、その人との約束のため。自分の単なる勘違いかもしれないけど、自分は求められているんだ、って。

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