「夢」の実現って結局「お金」なのか(ベターアイデア? v3-85)
「夢」の話になった。社内で。「夢」って何?
Aさんが話し出す
自分がやりたい、なりたい、と思ったら、その理由はよくわからなくても、それが「夢」で、それを追いかけるのが「夢」を追うことなんじゃないの。期限があるかもしれないし、無いかもしれないし、いつ成し遂げられるかも知れないけど。例えば、小さい頃に、石川遼くんのプレーを見て、プロゴルファーになりたい。とか。
そのときに、いやいや、スポーツで区切るなら、野球も、サッカーも、バスケも、テニスも、卓球も、体操も、スキーも、スケボーも、サーフィンも、柔道だってボクシングだってあるよ。どれがプロあるいは一定のレベルでお金をかせげる可能性があるか、額と可能性と、達成までの費用とか、そんなをなるべく網羅的に分析して、判断する親、なんて、いないよね。石川遼くんのプレーを偶然見て、なぜか心を動かされたけど、見たって動かされていない子供もたくさんいる。心が動いた理由は不明。でも、正直に、今は、ゴルフで強くなりたい、と思った。こんななんかの気づきで自分はこうなりたいが「夢」でしょ!
いやぁ、子供のボクにはなぜかなかったなぁ、こういう気づき。とAさん。
ここでBさんから疑問:
「このプロゴルファーになりたい」は子供だから許される「夢」だ。子供だから許される自分だけに関する視野の狭い「夢」だ。子供だから親や親戚、その周辺がその「夢」の実現を助けてくれる。けど、大人になったらこんな「自分だけ」の「夢」は誰からも支持されない。30歳になって「やっぱりプロゴルファーになりたい」と言ったところで、誰が支持するのか。
だから、スポーツ選手は、年齢で衰えるのは確かだろうけど、大人から初めたひとはほぼいない。おそらく体力的にできないのではなくて、誰も支持してくれない一人旅だから、結局、周囲が真剣にならないから、成し遂げられないのだ。つまり、何事も当然ひとりじゃできないから、超お金持ちならいいけど、金が無いとだれも助けてくれない。だから、自分だけの、「公共性」の無い「夢」は意味が無いし、実現しない。
だから、大人になったら、純粋な自分の心からの「夢」なのかどうかは知らないが、「公共性」が無いと「夢」は話にならない。「公共性」があるから、周囲に助けてくれる人が出てくる。エンジェル投資家的な、一定のお金がある人達。助けると後で儲かると思う目論見なのか、それが実現された世の中が見たいからなのか、助けたい純粋な気持ちなのか、本心はわからない。いずれにせよ、「夢」とは「公共性」が必要で、「公共性」がお金を呼ぶ。
Cさんが付け加えた:
そういえば、会社のビジョンは、リーダーの勝手な思いではダメで、今後の世の中はどうなるべきだ、を示すもの、と意見する本を読んだことがある。ラーメン屋をつくりたいは企業としてのビジョン・「夢」にはならない。自分ひとりで脱サラしてやるなら別にいいが、組織としてのビジョンは将来の世の中がこうなるべきを示すことであり、リーダーの個人的な想いなんて知ったことではない、という話だ。「公共性」と同じことだと思う。
Aさんが反論:
会社で考えるとそうかもしれないけど、個人のプライベートな生活での「夢」は何でも良いのではないの? ま、確かに大人になってプロゴルファーになりたい、ってひとはいない、けど。というか、世間体に毒されてそういう思考が許されないからなのかもしれないけど。でも、別にいいよね、それが「夢」であっても。
Bさんが反論:
もちろん個人のプライベートな生活の「夢」ははっきり言ってなんだっていいよ。口に出せないやばいことだって「夢」だろうし、ウルトラマンになってウルトラの星に行きたい、だってイイ。でも、個人の、プライベートな、「夢」の話なんて、議論する余地もないし、どうでも良い。自分の使えるお金の範囲で「遊ぶ」話でしょ。議論する価値があるのは、社会に関係することだ。会社にしたり、事業として行う、社会的な活動だから、議論する意味がある。だから、そうであれば、やはり「公共性」が無い「夢」は議論する意味が無い。会社にするなら「公共性」ある「夢」を追いかけるため、じゃないと無いとダメだ。だって、お金が集まらないもの。
Aさんが確認する:
そしたら、超お金持ちが、「公共性」の無い自分だけの、例えば「プロゴルファーになりたい」という「夢」を追いかけるのは別によいのでしょ。お金があるからできるし。
あれ、結局、「夢」の実現はお金ってこと???
金持ちなら、プライベートな、社会にとってどうでも良い「夢」を追いかけられる。他人の助けは金で買えばいい。一方、そこまでお金が無いなら「公共性」ある「夢」じゃないとお金が集まらない。助けてくれるひとが集まらない。「公共性」が無いと将来のリターンを期待できないから誰も助けてくれない。だから、自分の心からの「夢」なのかどうかしらないけど、「公共性」が必要、ということ?お金のために?
Cさんがうなづいて補足:
うん、そういうことなのでは。結局、夢の実現は「お金」次第ってことだ。子供の頃は親がつまりお金だ。それが許される。大人になったら100%面倒見て助けてくれる家族は原則いないから、自分の金でプライベートな夢を追いかけるか、「公共性」を確保して、他人から金を集めるかだ。
Aさんがどうも納得しない:
うーん、なんか嫌だなその考え方。正しい気もするのだけど。結局「お金」なのかぁ。。。
黙って聞いていたDさんが:
今の議論というのか、話は確かにそう思うけど、1つコメントとしては、何かの「夢」をどう表現するかって実は1つだけではないように思うの。うーん、何を言っているかというと:
「大人になってからプロゴルファーになりたい」って言われたら、ご勝手にどうぞ、ってなるけど、例えばだよ、こう言われたどう?
「人生100年時代とか、普通に生きれば130歳まで生きれる、不死の世界も見えているなんて言われている中で、みんなが今まで無理だと思ってきた年齢で何かの不可能を可能にする姿を見せたいんだ。年齢のバリアを取り除き、高齢者もいつまでも元気で挑戦心を持ち、定年が近づくおじさん・おばさんも諦めずに何かに挑戦する、そんな世界をつくりたいんだ、そういうマインドセットに人間を切り替えていきたいんだ、だから、40歳からプロゴルファーになるんだ!
つまり、別に何でも良いんだけど、競技人口を鑑みてひとつの「手段」としてゴルフにしたんだ。実は、ゴルフは「手段」なんだよ。できないをできるに変える!それが「夢」なんだ。科学的には、生命科学的には、脳科学的には、生理学的には、筋肉的には、それが実は可能なんだよ。科学者とドクターとのここ5年かけての濃密な勉強会からわかったんだよ。だから、それを証明するんだ。そのための手段としてのプロゴルファーへの挑戦なんだよ!」
って、長いけど、まぁ、例えば、こんなこと言われたら、どうだろう。もちろん、何言っているのアホ?って思うひともいるけど、支持してサポートしてくれる人も出てくるように思うの。「夢」と「手段」の混同をうまく整理すべきと言えるし、「夢」を違う切り口で説明すると「公共性」が増したりするとも言える。実は「手段」が好きで、それが本人的には「夢」と思っていたりするけど、深く話したら、壮大な夢と定義できたりするように思うの。ま、本人は気づきにくいけど、こういうガイドをしてくれるメンターがいるといいかもね。
Bさんが:
なるほど。それはわかる。でも、結局「公共性」が見えないとダメ、お金は集まらない、ってことだよね。。。
Dさんがうなづく:
ま、確かにそうね。「公共性」があるから助けてくれるひと・金が集まるのだものね。それで「夢」の実現性が高まる。ただ、癌を治療する薬とか、空飛ぶクルマ、とか、自然に帰るプラスチック、とか、そういう画期的な「モノ」ではなくて、「人のマインドを変える」ということも立派な「公共性」だと思うの。ま、「モノ」より惹かれる投資家は少ないだろうけどね。でも、「モノ」に拘る必要は無い、と言いたかったの。
今日のベターアイデア:
Aさんが最後に:
ま、でもそっか。画期的なモノじゃなくて、世の中の考え方を変えたい、ってのも「夢」でいいって思えるけど、でも、そうであってもお金は必要だものね。本を書くにも、講演するにも、youtube流すにも。「お金」。つまり「公共性」なんだね。
・個々人の好きな夢を追いかけるのは簡単だけどお金が限定的。実現困難。
・多くが将来に受入れるだろうと今思える「公共性」があれば、お金は集まるけど、それが自分の心からの「夢」かと言うとそうではない。実現困難。
どっちも難しいんだ。あ、あれ、だから、お金も大切だけど、個人の「夢」と「公共性」をブリッジをしてくれるというか、脚色してくれるメンター的なひとがいると良いのかもね。多少「夢」の表現が変わっても、一定の範囲内で自分がやりたいことなら燃えるものね。メンターが重要なのでは!
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