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第13回「28年間女性で生きたあとに『実は男でした』と知った時のワークフロー」

何度かnoteでもお話しましたが、ワタシ自身は性別不合(性同一性障害)という状態で生まれてきたため、体の半分が男性、半分が女性です。

しかしずっとそのことに気づかないまま生きてきたものですから、これまでの人生は想像を絶するほど困難なこともありました。え、そんなことってあるの?!という驚きの連続。。


身体は女なのに、頭だけが男!
そんなことって本当にあるんだね。

2016年、ほんの偶然でした。Twitterを通じて知り合い、仲よくなった方が性同一性障害の当事者だったのです。それをきっかけに10年以上、ずっと疑問に思っていたことの原因が判明しました。

「よくよく考えたら自分、女性の体なのに女性になってない。」

性同一性障害って、「自分は女性だけど心は男だ!」とかそういうものだと思っていたけども実際はそうじゃなかったのです。

「これって、身体の状態が最初からおかしいんだ」

親と縁切ってまでして身体の性別を変えようとする人がいるのはそういうことだあったんだ。ありゃ、頭と身体の性別があべこべだから、身体の方の性別を本来の性別に合わせるためにやっているのね。
すべて合点がいきました。

気づかないまま女子大に行き、女性として就職したしまったんだが・・・・。

ワタシにとって自分が男性と女性の半分ずつというのは大した問題ではないのです。それよりもっと大変な問題がありました。

自分が男性だと気づかないまま女性で生きてしまったことです。
そう「気づかないまま」生きていたのです。

女性で生きていた28年間、女子大入学することもあれば、社会人になり女性として入社することもありました。
苦難の連続かと思いきや案外そんなことはなく、社会人になる前だったらまだ良かったのです。
性別が問題になる場面さえ避けていれば、何のストレスはありませんでした。比較的に自分の自由に生きることができたのです。

しかし社会人となるとそうもいきません。何かしら男性/女性と扱われるシーンはあります。
それでも自分の本来の性別が女性の方になっていないと全く気づかなかった私は、「これからは女性で生きなくてはいけない」と思い、本来の自分を押し殺してしまったのです。
自分の性別が何かおかしいんじゃないか?と疑うこともせず、男は黙って女をやろう精神の持ち主、それが私だったのです。(無駄に男前)

記憶に深刻な障害を起こしてしまった

2016年、28歳にしてようやく自分の本来の性別が女性の方になっていないと気づいたのですが、同時に自分の記憶がほとんどないことに気が付きます。
女性として生きようとしていた2011年~15年の5年間は、私自身、ほとんど記憶がありません。そればかりか、それ以前の記憶をうまく取り出すことができなくなっていました。「かつて自分が誰であったか」すら思い出せない。そんな状態でした。

なんとかして記憶を取り戻したい。
しかし、まさか「自分のことを女性だと間違えて生きてしまったせいで記憶に障害が起きている」なんて他人に話しても、とうてい理解してもらえないだろうし、しばらくは自分で一人で抱え込んでいました。

①少しずつ、自分のことを他人に話す

自分の記憶を取り戻す過程で効果があったのは「自分のことを他人に説明する」ことでした。

Twitterで、自分が性同一性障害であること、それに気づかず長い間生きてしまっため、自身のアイデンティティの形成が非常に困難であった※こと、一定の間、記憶のない時期があることなどを発信していきました。

※男の子が女の子に分類され、女の子とをして育てられてしまったため。
そりゃ困ったことが起こりますよね。

このときはまだ大勢の人に見てもらうことや知ってもらうことが目的ではありません。
親しい人たちに、「あ、そうだったんだね」というのが伝わるだけで充分得られるものがありました。

②とうとう記憶のほとんどを取り戻す

今日、これが書ける日をどんなに待ち望んだことでしょうか。
ある一定の地点にたどり着いたあとは、一気に記憶が戻りました。

自分が性別不合だと気づいて、自分を取り戻したいと思ったのが2016年。
3年経ってもまだ記憶の半分も取り戻せていないと絶望した2019年。
自分の正体に気づくの遅れてしまったし、もう自分を取り戻せなくてもいいかなと諦めかけてしまったこともありました。

しかし、コロナの影響で仕事が在宅勤務になり、自分の記憶を取り戻す時間がたっぷりとれるようになり、2020年から2021年までの2年間は、記憶が戻るスピードが格段に早くなりました。絶望から一転、あまりにもトントン拍子にうまくいくので、この運命は誰かが予め筋書きを書いていたのだろうか?とも思いました。

なにはともあれ、記憶がなくなる前の状態に戻ったのはよかったし、記憶がちゃんとある、残るということがこれほどありがたいものなのかと思いました。一度記憶を失って、再び記憶を取り戻す。とても貴重な経験をしたと思います。

「出遅れた」なんて気にしない。意外にも怒涛の追い上げが効く

確かに、性別不合のせいで高校への通学が叶わなくなったり、記憶がなくなったり大変な目に遭わされました。

頭が男性、体が女性、
もう想像を絶する生き辛さ!
(それに気づかずに生きていた自分が悪いんだけども……)

でも、マイナスな面に目を向けいるのではなく、
そんな状況にも関わらずなんとかなっている。
そっちの方がよっぽどすごいのではないか?
自分は大変困難なことを成し遂げたのではないか。そういう風にプラスに考えた方がいいのではないかと思います。

本当に長かった。ここまで戻ってくるまで20年も掛かってしまった。
それでも、20年前に自分がなりたいと思った姿に今の自分はだいぶ近づいているのではないかと。だからあともうひと頑張りしたいと思えるのです。

これからやりたいこと デザイン関係

なんせ本来の自分でない自分で就職してしまったものだから悔しくてたまらない。これからは本来の自分で仕事をしていきたい。

noteでデザイン関係の記事を読み漁ったり、自主制作をしたり、どうしてしまったことか、何かに掻き立てられたように体が勝手に動くのです。

また記憶がないというのは、単に記憶が抜け落ちているだけではなく、脳がうまく動かない状態なので、新しく記憶することもできませんでした。覚えたいことがたくさんあっても頭に入っていかない。
でも今は、新しい情報を詰め込める場所がこんなにあると思うとワクワクしてたまらないのです。

デザイン仲間もたくさんつくりたい。ずっとやりたかったことがいよいよ始められる。毎日希望をもって取り組んでいきたいと思います。

28歳の時「ゴメン、本当の性別女じゃなくて男だった」を食らった性別不合の当事者です。日常的に男女の性別使い分けを強いられそのまま根付いてしまった奇妙な人生。サポートや紹介していただけるメディアさんも募集しています。