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教職科目担当して5年目

5年目

 某私立大学にて、教職科目「教育方法論」を担当して5年目です。そう、担当するにあたって、実は、事前に「『教育課程』と『教育方法論』のどちらか担当してもらおうと思うんだけど、どっちがいい?」と尋ねられました。どちらにも関心はありましたが、あえて、「どちらでもいいです、ぼくにあっていると思う方を回してください」と答えました。

担当は…

 しばらくすると、大学から教育方法論担当の依頼文書が送られてきました。「さすが、分かってくださっている」と思いました。ぼくを推薦してくれた先生が、ぼくのことをよく理解してくださっていると感じた瞬間でした。
 今となっては、多くても年に2回程度しかお会いできないにもかかわらず、ぼくのことを覚えていてくださって、さらに、その性格といいますか好みといいますか、適性まで理解してくださっているということは、やはり今でも「先生」として一流でいらっしゃるのだろうな、と感じた次第です。

中高一貫校と大学と

 平日(月~金曜日)は中学生や高校生、土曜日に大学生(教職科目)と幅広い年代の方々と接することができるということは、お互いにとって大きなメリットがあると感じています。
 ぼく自身の意識としても、大学の講義において、常に中等教育におけるリアルな授業や行事あるいは生徒指導の場面などを思い浮かべながら学生さんと対話をし、協働的な授業設計ができます。『教育方法論』という、大きなくくりの授業担当なので、教科教育法とは異なる、総合や道徳など一つの教科のとらわれない指導方法、あるいは特別活動や生徒指導、進路指導なども含めた人としての「指導」(←実は、この言葉を使うのには大きな抵抗感があります。ぼくには、上から決めつけて教え込むという気持ちがありませんので…)というか「育み」について、学生さんといっしょに考え、学生ひとり一人が自分で、あるいは学生同士で協働して、自分の考えを形づくって欲しいと考えています。そのための、さまざまなリアルな課題提示ができることは、大学生にとってとても有意義なことと感じています。
 難しいといわれる私立大学の理系の学生なので、真面目でどちらかというと固い学生さんが多いと感じられます。そこから、中等教育で担当している生徒さんたちの将来像を想像し、中学生高校生時代にどのようなことを体験しておくことが望ましいか、考えることができると感じています。

いつまで続けられるか

 多くのことを並行して進めることは、非常にストレスフルで厳しいことです。肉体的精神的に大きな負担になっていることを感じます。それと同時に、家族をはじめとして、周りの方々の目に見えない協力をいただかないといけないと進められないモノとも思います。しかし、それでも、上記のように、そこにあまりある利点があると感じます。これからも、自分の体力や能力が続く限り、中等教育と高等教育と並行して教育活動に努めていきたいと考えております。

(なお、画像と授業担当大学は一切関係ありません)

次回予告

「もう、授業研究会などでは授業公開なんてしない(=見学お断り)」その理由は…
     ☆個人的(個別)に見学等は従来通り受けます。


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