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読書感想文『青くて痛くて脆い』

読んだ作品:『青くて痛くて脆い』(住野よる)




注意*必ず読んでください*

この作家さんを好きだという方が僕の周りにも、世の中にも、たくさんいることを知っています。私は、ずっとこの方(を含め何人か)の作品を避けてきました。あらすじや口コミ、最初の数ページを読んで直感的に苦手だと思ったからです(*読んでみるとそれほどでもありませんでした)。
だから、この作家さんや作品が好きだという方は特に注意してほしいのだけれど、僕は基本的に作り手目線でこのお話を読みました。何を伝えたかったのか。何を描きたかったのか。だって、読者として読んだら好みじゃない、で終わってしまうと思ったから。そのため、星五評価の口コミと思って読むと違和感があると思います。



大まかな前半部分は少し読みづらさがあった印象を抱いている。というのも、描きたい世界観があることは伝わってくるのだけれど、小説というよりはシナリオやあらすじに近い文体だという気がしたから。でも後半ではそれは解消されたように思ったから、要は配分の問題かもしれない。前半で語りたいことと物語の必然性のために描いた方がいいものとの配分が、(私の好みに)合っていなかった可能性はある。

ここからは、作り手目線で考えたことを書いてみることにする。

作者が伝えたかったことは何か。描きたかったものは何か。この物語は誰に向けて書かれたのか。

ひとつ気になったのは、「いたい」という言葉の意味。
前半では、明らかに「イタい」、つまりは『アイツってイタいよな』というような非物理的、かつ嘲笑を含むような意味合いで何度も登場する。でも、タイトル『青くて痛くて脆い』がこの意味とは考えにくい。

つまり、物語終盤で出てくる、高校時代の主人公に対して(彼自身が回想して)「あの頃は青くて痛くて脆かった」というようなことを振り返る、その意味合いだろうと思われる。

そう仮定すると、前半の『アイツってイタいよな』はミスリードということになり(もしくはミスリードに思わせた二重の意味)、うん、それはそれでひとつの技法だろうと思う。



タイトルで言うところの「痛い」の意味をもう少し深掘りする。高校の時は(大学生の今より)人を信じようとしていた、みたいなことが書かれているから「(人を信じようとして)傷つく、傷つきやすい」という意味なんだろうと思う。

よし、ならば、再度タイトルの意味を振り返ろう。

青くて(若くて)
痛くて(傷ついて)
脆い(傷つきやすい(空っぽだ))

空っぽ、を補足したのは空っぽさというのがキーワードかなと思ったから。なんというか、いやわかんないけど、この小説が好きな方は、きっとこの空っぽさにどこか共感するのかなあなんて思ったりした。脆い、という言葉と空洞のイメージはよく合うし、空っぽという言葉が急に出てきたように思ったので描きたい/伝えたいことなんだろうなっていうのもある。

ついでに言うと、テーマだとか伝えたい教訓だとか伝えたい姿/可能性とか、ともかく作り手が真ん中に据えたものなら、そのシーンは多少強引でも挿し込まれる。これは偏見というよりは僕の個人的な経験談だから反論もあると思うけれど。

多少強引に、というのは少し批判的に書きすぎかもしれないけれど、具体的には現リーダーのヒロが、必ずしも(主人公と同じように)「空っぽ」でなくてもよかったと思う。空っぽだと漏らすシーンはなくても物語として成り立ったと思う。

自己肯定感の低さを拗らせた(ように私には見えた)主人公の気持ち悪さと醜悪さと改心の様を描くのに、必ずしもヒロの空っぽさは必要じゃない。だけどその設定を組み込んだのは、(若い私たちは)誰しも空っぽ(かもしれないの)だ、という読者へのメッセージにも思えた。


空っぽさを持て余して(大ごとを起こして)しまった主人公だけじゃない、
学生団体を率いる、日々充実していそうなあのヒロでさえ、本当は空っぽなんだと。

その設定(そのヒロの孤独さ)に、そうした物語の描かれ方に、あるいは周りを少し見下して生きる(かの如き)主人公の心情に、どこか共感したり代弁してくれたように感じたりする人が、少なからず存在するのかもしれない。

個人的には、分量として作品の2/3以上を占めている(主人公の異常な恨みの)後味の悪さが印象に残ったので、最後まで改心せずに終わってもそれはそれで面白いのかなと思ったりもした。


もし、やはりそちら(後味の悪さ?)が本題ではないのだとするならば、主人公が我に帰った後のことをもう少し知りたい気もした。「人と必要以上にに近づかない」という主人公が徹底して守ってきた価値観がその後どう変わったのか、思っていた通りのつまらない社会人に成り果てたのか、あるいはもう少し抗って前向きに過ごしているのか、途中まで応援してくれていた友人との仲はどうなったのか。
ただ改心しましたと言われるより納得できるけれど、でもきっとこれがテーマでもないのでしょう。
やはり、空っぽさを抱えて皆それぞれがむしゃらに自分のために生きているんだというのを、その醜さを描きたかったのかもしれないとも思う。


自分のために、身勝手に。
人を利用して生きている"醜さ"。

…この表現は僕の価値観とは矛盾するところなんだけれど、(改心する前の)主人公の思考なので、共感して読み進めていたらピリリとしたかもしれないし狙い通りなのかも(読んだ人の心に良い傷を残したい、みたいなことを何処かで言われていたので)。

これまで、苦手に思って人気作家さんをことごとく避けてきたので(あの方とかあの方とかあの方とか)、これからも一冊は読んでみたいなと思った。

だって、私の好きな作家さんだって、口コミサイト見ると熱狂的ファンか、つまらないと言っている人(あるいは客観的に技術的な評価している人もいるけどそれは私が感じる大きな魅力には程遠い熱量)しかいないのよ。ファンに会ったことあんまりないのです、よくわかんなかったとか、つまらなかったって人の方がよく目につきます。


結局、万人に広く受け入れられる作品を書くのもひとつの才能で、一定数の人に熱狂的に支持される作品を生み出せるのもひとつの才能だと思う。



だからみんな、自分の好きな作品を好きに読んで、勝手に好きでいればいいよね。



(個人的には、今回食わず嫌いの克服に一歩近づいたかなって思います)


**

余談)
個人的な感想

僕はどちらかと言うと秋好(ヒロインにあたる子)の方に近い生き方をしているので、イタい、という周りや(主人公の内心の)評価が逆に理解できなかった。秋穂はイタく見えるように描こうとして描かれているのでいいとしても、頑張ってるんだからいいじゃんと思ってしまう部分もあったかも。

主人公の逆恨み(?)については、個人的に物語に後味の悪さや生々しいリアルな人間関係のごたごたとかを求めていないので好きな展開、ではなかったけど小説として理解はできる。ただ、気持ち悪く描こうとして描かれているとしても、回収してほしい(つまり主人公に明確に前言撤回してほしい)ところもあった。

変わって落ちぶれた(と主人公が感じている)秋好や、二人で立ち上げたはずのモアイ(というサークル)への恨みを正当化する思考。それ自体はみんな少なからず似たようなことを考えたこともあるだろうから何も問題はない。
私が気になったのは物語のクライマックスが近いシーンでの、以下のような思考。


大学生のうちにプラスに転じる人は少ない。○ぬ人もいれば秋穂やモアイのように落ちぶれる人もいる。その点、現状を維持した自分はうまくやった。

この伏線を回収してほしかったなって思います


起承転結、の結にあたるところでは、落ちぶれたわけではない、変わっていくことは悪ではない。気に入らないなら変えていく、関わっていく必要がある、というような回収がされていた(と私は理解している)。

どこかにもう少し描写を足して、主人公は現状維持したわけではなく幾つもの可能性を自分から捨ててきたことだとか、サークル代表としての秋好の努力みたいなものがより描かれているとより気持ち悪さともどかしさみたいなものが滲んでくるような気もした。



…秋好ってイタいんですかね?たしかに世界平和謳うのはイタく見えるかもだけど。

せいよくのためにサークルに入ってるのはそんなにダメなのか?しゅーかつは量産型の若者しか受け付けないのか?そうでしか生きていけないと思っているのは主人公で、きっとその友人や秋好は、別に量産型の学生ではなかったようにも思う。
そういう皮肉的な示唆ならたくさん散りばめられていたような気もする。

**





最後まで読んでくださりありがとうございます。



2023/5/5 11:51 誤字の修正

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