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せめて私は、それを大切にしたいんだ。

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自分が書いた詩や小説等を集めています。
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2023年10月の記事一覧

【短編小説】金木犀

適当に座っていいよと言われて腰をおろしてから、周りに知った顔がひとつもないことに気がついた。何人かできた友人は、どこか違う列に座ったらしく見当たらない。 先輩に促されるまま適当に頼んだアルコールが運ばれてくる。暑いがジャケットを脱ぐ勇気もない。 知らない先輩を挟んで、一つ飛ばした左隣で、よく通る声が笑いを生む。自分とは程遠い社交性と、この顔に必死に浮かべた(不格好だろう)笑みの苦しさを対比する。 グラスの中のアルコールを煽った。 顔赤いんじゃない? 向かいの名前も知らな

【短編小説】彼岸花

路肩に彼岸花が咲いていた。 バスに揺られながら、刈り取られた田と、ガードレールの脇に点々と群生する赤を眺める。窓ガラス越しの陽は暖かった。眩しくて目を閉じた、その瞼にも陽の光を感じる。 荷物を抱え直す。眠って回復したい。温かな日差しに、溶けて紛れたい。 全てを駄目にしてしまいたかった。全てを手遅れにして、諦めて、暗いところでひとり息をしたかった。 温かな日差しが、頬をじんわりと侵食する。それでも僕は、まだなくならない。輪郭はまだ、溶け切らない。 それが何故だか、少し残念