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春も飛びこえて夏のにおいを待ってる

いつだかに聞いた笑い声がしだいに遠ざかっていく。永久保証の契約が無効になっていることなど露知らず、雨音は鼓膜を打ち付ける。何度目だろうか、ぼくは白色の柔らかな光に手を透かせ、ぎゅうっと身をすぼめた。

古めかしい感覚が途端に蘇ることがある。そのトリガーは音楽や景色、匂いだったりするわけで、五感を撫ぜる感覚がまた遠く愛おしい感覚を想起させる。季節の変わり目は忙しいほどに新しく、それでいて懐かしい心地を与えてくれる。湿っぽい空気は牛乳を腐らせる間に鋭気を漂わせ、布団から出るのが尚更億劫になっていた。

秋の素晴らしさの中でも、金木犀の匂いの艶めかしさは格別だ。ともすればこの世の重大な神秘の一端を担っているんじゃないか、そんな香りだと思う。頭の天辺を優しく包み込む甘ったるい風が記憶の端っこを掴んで離さない。金木犀にまつわる思い出などこれっぽっちもないはずなのに、ぼくは、秋が来る度に在りもしない日に思いを馳せてしまうのだ。

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