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ガシガシ𝑬‌𝑻‌𝑬‌𝑹‌𝑵‌𝑨‌𝑳 𝑳‌𝑶‌𝑽‌𝑬 しちゃだめーーー!

今は誰も見てもいないSNSに日記を綴っている。目に映った出来事に無理やり言葉をあてがわせたような乱雑な文字列が温度感もなく並んでいる。画面はぼくのアイコンで埋め尽くされている。じぃっと見つめてみるとそれぞれが独立したような顔をしてるみたいでちょっとキモい。ぼくの意志とは関係なしに景色の粒度は高くなっている。ぼくはぼく自身が傍観する景色を制御する術すらも徐々に失いつつある。極彩色の情報は眼底をジリジリと焼き尽くしていく。目の奥の鈍い痛みが生活を圧迫する。ゴミ出しの日に関して極端に忘れっぽくなっていく。

不規則に変化し続ける内的世界とは対照的に生活は大局的に観ると規則正しく整列している。横スクロールアクションの1-1がエンドレスループしている場所に放り出されたような心地だ。予め決められた障害を単調なアクションで解決していく、この予定調和的な営みに対してぼくは歓迎することも諭すこともなくなっている。

黒板の上端にマリオを走らせたり時計の針を念力で曲げようとしたりしていたらいつの間にか学校というありありとした輪郭を持った空間との往復運動が解消されてしまった。今ぼくは木造アパートの一室でなみすけと同じ目をして体育座りをしながら手を震わせている。海に帰りたい。

言葉にどれほどの意味を含めていられているだろうか。ぼくはなにも物語を語っていないし語るに値するほどの物語も持ち合わせていない。コピペの形容でしか相対化できなくなってしまった。ぼくはまだなにも知らないけど、なにも知らない態度でいるのは無責任だし不誠実らしい。もっともらしいカケラを集めてはグラグラ石ころ城を築き上げている。ゴロゴロお布団からそろそろ起き上がらなくてはそろそろ暑さにやられて溶けてしまいそうだ。

あのね、世間の喧騒がどうだかなんて人間たちに教育されたりもしますが、いつだって外の世界はひどくうるさいものですよ。とうに閾値を超えた喧騒が今更さら更新されたところでぼくの知ったことじゃありません。別になんだっていいのです。うちの壁は何年経っても真っ白のまま変わらず、阿部寛のHPはいつ開いても爆速だってことが大事。

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