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patchworkAsLife

愚にもつかない秋だった。夕焼けに紅葉する顔が秋だとするならば、もう数年来、秋とは顔を合わせてない。些細な生活がガラクタ同然に扱われるのはいつの季節だって変わりなく、街は光の方へ吸い寄せられている。

シュトーレンの匂いが鼻をかすめた。電飾がチカチカ瞳を照らせば、今年もまたサンタクロースのおじさんが胸を高鳴らせる。ぼんやりとした光の中に手に余るふれあいの残像が立ってるような気がしてならない。なんだか、偏頭痛の前兆と似ている。そんなことが頭を巡る中、頓服薬を飲むようにグリューワインをぐっと流し込んだ。
超過速度で巡る季節は忙しなく、いくつもの関わりがあろうとも総決算の日が訪れることはない。喜怒哀楽に目を瞑って日を更新している。時折、ときの流れをペン先に滲ませ季節の変化を記録している。ぼくはぼくで、少し先の未来に偶像を見立て早く追いつこうといつだって急いでいる。自転車を乗りこなすように、決してスピードを緩めず倒れぬよう急いでいる。もう急ぎすぎた。片道切符だと思う。動力を失った図体は擦り傷だらけで道から追いやられてしまいそうだ。
すべて語るに足りうる余白を失くしていた。ぼくたちは少しずつ諦めていくことで少しだけ前にすすめるような気がする。でも、円環から抜け出そうとの試みは無鉄砲だったかな。デタラメ理論ばかりがすごい速さで駆け抜けている。

馬鹿馬鹿しいくらい抑揚のない生活を送っていたはずなのに、なぜだか、全てが意味を成していたような気がしてならない。愛おしさを築き上げるのはたいてい無自覚で時間の醸造に任せっきりなのに、喪失は痛ましいほど自覚的で一瞬にして訪れる。象徴的な出来事が起こるたび全く割に合わないな、と思う。

さて、今年もクリスマスがやってくるようです。皆様いかがお過ごしですか。ぼくは年々悪くなる目を細めて景色を眺めています。死んだ飼い猫、寝たきりの祖父、連絡先も知らない恩師、話す機会さえ奪われた旧友たち、屈託のないぼくたちの肖像。

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