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オリンピックとネットと国の威信と戦争と平和

2020年東京オリンピック。

世界中から多くの国のたくさんの選手が集まり数々のスポーツ競技で競い合う。

国民は懸命に競技に励む選手を応援し声援を送る。例えメダルに手が届かなくても精一杯戦った健闘を讃え拍手と喝采で盛り立てる。

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私がオリンピックがこの上なく好きな理由は、競技の種類を問わず皆が同じ方向を向いて応援するという現象にとてつもない感動を覚えるからだ。そして、勝っても負けても選手を讃え、広くスポーツの素晴らしさを実感出来るという点にもある。

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相手が強豪国であれば更に応援にも熱が入るし、熱戦を繰り広げた選手同士が健闘を讃え合う場面を見ると、スポーツで平和を築き上げることが出来るのではないかと僅かばかりの希望も頭を掠める。

今回のオリンピックはこれまでのものとは取り巻く空気が違っており、何やら歓迎されていない雰囲気すら漂う。折からのコロナ禍で「オリンピックどころではない」や「感染拡大への懸念」が主な理由であるが、この記事を書いている今現在(7月29日)、開催を迎え数日経ち確かに感染は爆発的に増えてはいるが、そのことがオリンピックの影響だけとはどうも考え難い。強いて言うなら、多くの国民が反対していたオリンピック開催を国が半ば強引に推し進めたことによる国民の反感が、コロナ禍に於いての自粛意識を銷却させてしまったという風に邪推もしてしまうが、下の投稿を見るに私の想像もあながち間違ってもいないかもしれない。

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ともあれほぼ無観客の中懸命に競技を続ける選手に於いては、本当に頑張って欲しいものだ。

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さて、ここから綴る話は今回のオリンピックに限ったことではないが、昨今のネット社会に於いて多くの著名人やアスリートをはじめ一般人までもが長らく頭を悩ませている「ネットでの誹謗中傷」についてである。

今回のオリンピックで、ある日本人選手が優勝した際SNSでのDMでとてつもない誹謗中傷コメントを受けているということ。

「不正なジャッジ」「反則行為だ」「まぐれ」果ては「消えろ」「シネ」等々たくさんの悪質なコメントを受けているらしい。

負けて悔しい気持ちは解る。しかしその憤りを相手選手にぶつけるのは筋が違うし、何より懸命に戦った自国の選手までも貶めてしまう行為ではないだろうか。

とここまで考えてふと思ったのだが、そういった「国の威信」をかけて戦う選手と一部の応援する国民の間には大きな感情の隔たりがあるのではないだろうか。

スポーツから離れて考えた時、日本の隣国は日本に対して多大なるライバル心とともすれば憎悪にも似た嫌悪感とそれに伴う劣等感や優越感の入り雑じった複雑な感情を以て日本を見ている。それは紛れもなく先の戦争からくるものであり、そこから続く終わりのない敵対心が沸々と燻り続けている火種のように思えてならないのだ。

オリンピックという「平和の祭典」の中にあって日本という「敵国」を叩き潰すことが応援する一部の某国民にとっては最高の発散材料なのではないか。そしてその「一部の某国民」は、自国の選手が負けた時に沸き上がる怒りにまかせて更に日頃の感情と合致し、相手を別の手段で攻撃せずにいられないのではないだろうか。

私は戦後生まれで勿論戦時中のありとあらゆる真実を知らない。故に学校で習った歴史も若干穿った目で見ているところもある。

私達が知らない、日本人による蛮行も多々あったかもしれない。戦後ほとんど戦争のことを語らない元兵士は、そういった事による後ろめたさがあるからだ、と聞いたこともある。そしてそれは他国にも同様に存在することであり、次の記事には学校では教わらなかった恐ろしい事件の詳細が記されている。

※次の記事には多くの衝撃的な事実が記されてているので体調を悪くするかもしれません。閲覧注意

奇しくもオリンピック開催中の7月29日はこの悲しい事件があった日にあたる。

恐らくではあるが、戦時中はこういうことが規模の大小に関わらずあちこちで行われていたかもしれない。同じ人間として非常に悲しいことだ。

だからこそ私達はここから学ばなければならないと思うし、二度と繰り返してはならないのだ。

「愚者は経験に学ぶが賢者は歴史から学ぶ」

という言葉があった。

今現在日本を糾弾し、非難し攻撃している隣国の一部の人間は正に、歴史から学んでいない、自分の視点からしか物事が見えていない残念な人なのだ。

色々なニュースや報道を見るに、何故そこまで日本に執着するのかと思ってしまう韓国や相変わらず日本の国土を粛々と狙っている中国に対しては最早辟易と言うしかないが、個人的に人々と接するとごくごく普通の、私達と全く変わらない近所のおじさんおばさんであったり、優しいお兄さんお姉さんだったりするのだ。個人的なことを言えば、私には韓国人や中国人の友人も普通にいる。

以前東北の震災の後、千葉県の成田で出会った韓国人の若者がいた。彼は「何か被災地のために出来ないかと思って日本に来た」と言っており、とても嬉しかったことを覚えている。

また、中国に旅行した日本人が現地の中国人に助けを求めた際に「あなたは日本人が憎くないのか」と尋ねたところその中国人は「昔のことは昔のこと。あなたと私の間には何もない。私は憎しみを残す人にはならない 。だから私は困っている人には喜んで手を貸すわ」という答えが帰って来た動画を見た。

実際の韓国人や中国人にはこういった考えの人が多い。過剰で異常とも言える反日教育を国家主導で進めてきた韓国の中にも、割と早い段階からその教育自体に疑問を抱き様々な歴史的事象を自分で調べ上げ、堂々とネット動画で「我々の国が間違った教育を続けている」と声を上げる韓国人の若者が最近は増えてきたらしい。

私も自分なりに様々な本や記事を読み戦争に対する理解を深めようとしたが、結局当時の事を100%把握するのは難しいと感じた。それは各国政府の解釈によるものもあるだろうし、正確に国民に対して事実を開示していないだろうという結論によるものだ。

従って私として出した結論は

「戦争は絶対に駄目」

ということのみだ。但し戦争のことをよく調べもせずに漠然と戦争しちゃ駄目でしょう、というのとは意味合いが全く違う。

最近、「戦争やむ無し」「やられる前に先制攻撃」という論調が目に入るようになったが、やはり戦争はしてはいけない。では「じゃあ他国に攻め入られたらどうする!」という人がいるが、だからこそ「絶対に攻め入られないようにする」のが政府外交なのだ。

そしてそんな政治家を選ぶのは紛れもなく私達国民なのだ。

内閣支持率がよく上下しているが、何故上下するのか。それは選挙で投票していない国民(仮に投票したとしても特に主義主張が無く「誰でも一緒」と思っているような残念な人)が、その時その時の情勢に対してこれまた深い考えも無くイベントの如く一喜一憂している現状の現れなのではないかと思う。日本の現状を理解しようとせず真剣に選挙に向き合わなかった結果、意義のある投票もせず慌ててデモに参加するというお粗末な行為に走る。真剣に考えた末の投票率100%なら内閣支持率は然程動かないはずだ。

大事なのはデモンストレーションではなく選挙なのだ。

私にはデモに参加している人達は、勉強不足の生徒が試験中に「こんな問題知らない!授業でやらなかったじゃん!」と宣っているようにしか見えないのだ。当の政治家は選挙の時に「当選したら◯◯を進めます」と言っているのに、それを真剣に聞かずいざその時になって「話が違う!」はないでしょう。あなたが選んだ政治家ですよ。

現政権が気に入らないのであれば、次の選挙で自分の意見を代弁してくれる政治家を全力で応援して政権を交代させればよい。何しろ投票しなければ話にならない。どうしても推せる政治家がいないのならば、自分が立候補すればよい。

結果として政府は憲法改正という愚行を推し進めたが、それでも私達国民は戦争を絶対に反対しなければならない。

私達は正しい歴史から学び、戦時中に行われた数々の残虐行為を知ることで、改めて戦争の悲惨さを噛みしめ何度でも「戦争反対」と叫ばなければならないのだ。

そして歴史から学んできた多くの先人達に倣い私達はオリンピックが、未来に続く国と国との繋がりを深める為の平和の祭典ということを再確認して、国政や外交関係とは一線を引き、心から全ての国の代表選手に対して尊敬の念と共に声援と労いの言葉を送るべきであると考える。

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