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ありのままの自分を好きになって欲しいという願望と実際の恋愛難易度

 今回は恋愛において、たまに聞く「ありのままの自分を好きになって欲しい」という言葉について書いていこうと思います。ありのままの自分を好きになって欲しいとはどういうことなのか、そして実際にありのままの自分を好きになってくれる異性は存在するのか。そのあたりを自分なりにまとめてみます。


ありのままの自分とは

 最初にありのままの自分とは何か定義すると、自分本来の性格や趣向に忠実な自分という事になります。
 
 ここでまず認識して欲しい事が「ありのままの自分を好きになって欲しいという願望が恐ろしく自己中心的な考え方だという事」です。
 
 ありのままの自分を好きになって欲しいとは、「あなたと恋愛するのに私は一切の努力も妥協もしません」と宣言しているのと同義だからです。分かりやすく極端な例をあげれば、自分がお風呂にも入らない、話もつまらない人間だと仮定します。もう結論は分かると思いますが、風呂に入らない、話もつまらない私を好きになれと言っているのと同じ事です。そして今後も風呂に入る気はないし、話もつまらないからお前が話せと言っている事と同じです。これがありのままの自分を好きになって欲しいという事です。
 
 あえて極端な例を挙げましたが、ありのままの自分を好きになって欲しいという言葉を使う人は自分に悪い所なんて無い、良い人間だと思い込んでいる傾向があります。自分が良い人間だと思い込んでいるからこそ、ありのままを好きになって欲しいなんて思えるのです。少しでも自分の悪い面を自覚していれば、その悪い面を好きになってくれる人なんて存在しない事が分かるはずです。先程の例ではあえて多くの人が嫌うであろう要素を書きましたが、人によって嫌うポイントも程度も異なります。つまり万人に好かれる要素しか持っていない人なんていないのです。
 
 この言葉を本心から使う人は恋愛経験が少ないか、もしくは圧倒的なカリスマ性を持っている人です。多くの恋愛経験者達は前述の通り最初からありのままの自分を好きになってくれる人なんて存在しないと分かっています。あくまで願望だけなら問題ありません。私自身もそう思います。しかし心の底からそう思っていて、ありのままを好きになってくれる人が存在すると思っている人は考えを改める必要があります。 

お互いの短所を認識し合っている恋人達も当然存在している

 ここまで最初からありのままの自分を好きになってくれる人なんていないと書き続けてきました。しかし世のカップルや夫婦を見てもお互いの短所を理解し合って、それでも愛し合っている人たちもいるじゃん!という反論が聞こえてきます。おっしゃる通りです。正直私も夜遅くなった時や一歩も外に出ない日は風呂に入らない事だってあります。そして嫁もそれを許容しています。
 
 しかし最初からそうだったわけではありません。付き合う前にデートに行くときは、どれだけ夜が遅くなろうとも風呂に入ります。当たり前ですね。つまり何が言いたいかと言えば、最初はありのままではない、演技をしている自分を好きになってもらい、交際後に徐々にありのままの自分を好きになってもらうという流れが基本ということです。最初からありのままの自分を好きになって欲しいというのは、順番が間違っています。
 
 恋愛以外でも友達だって同じ事です。友達の良い所、悪い所を知ってそれでも友達を続けているはずです。一方で最初から悪い所が目立つ人とは友達にすらならないはずです。

ありのままの自分ではない、演技をしている自分

 自分本来の姿ではなく演技をしている自分と書くとなんだか嘘をついているようで悪いような気がしてしまいます。しかしそれは嘘でもなんでもありません
 
 考え方としては身だしなみに近いと思っています。例えば、ありのままの自分であれば髪の毛をセットしないはずです。しかし髪の毛をセットすることは悪い事でしょうか。よりかっこよく、よりかわいく思われたくて努力しているだけですよね。同様に異性に好かれたくて口下手な人が一生懸命面白い話を考える、根暗な人が相手に笑顔になって欲しくて明るい話題を考える、食べるのが大好きな人がダイエットをする事が悪いはずがありません。これら全てがありのままの自分ではなく、異性に好かれるために行っている演技です。
 
 これも恋愛だけでなく一般的な人間関係にも当てはまります。クラスのお調子者も、みんなに笑われたくて本来の自分以上にお調子者を演じています。陽キャと言われる人たちだって全員が心の底から陽キャなわけではなく、半数以上は陽キャを演じているに過ぎません。別に悪い事ではありません。それが社会で楽に生きるために必要だから、意識的か無意識かは分かりませんが皆当たり前にしているのです。

ありのままというつまらなさ

 最初からありのままの自分を好きになって欲しくて演技をしないという事は、相手からすれば最初から自分の事は全て分かっている状態になります。人間関係において、これほどつまらない相手がいるでしょうか。
 
 人間関係において相手に興味を抱く時は、相手が自分の想定を上回った時です。この人はこんな一面もあるのか、こういう考え方もあるのかという自分の想像を相手が上回った時に相手に興味を抱きます。恋愛の話でよく聞く「ギャップ」が最たる例ですね。ベタな例で申し訳ありませんが、ヤンキーが子犬を拾う姿に惹かれるという話はよく聞きますよね。これは「ヤンキー=怖い」というイメージから真逆の「子犬を助ける=優しい」という自分の想定外の姿に惹かれるのです。全てが自分の想定内の人間に面白みは感じないのです。ゲームで言うNPCみたいな扱いと同じです。
 
 最初のデート以降、誘っても来てくれないという時は多くの場合はこれです。何もやらかしてないのに2回目のデートに行けないのは、なにもやらかしてないから2回目のデートに行けないのです。要はデートで良くも悪くも相手の想定を超える事が出来なかったということです。相手の想定を超えていないということは「普通」だったという事です。普通の人を好きにはなりません。特別な人を好きになるのです。 

自分を貫き通しても良い

 一方で、ありのままの自分で勝負する事も悪い事ではありません。私もある程度は本来の自分を出さないようにしていましたが、服装だけは自分を貫いています。どうしてもただの布切れに何万円もかけたくないんですよね。しかしそうなると服装を重要視する異性と交際することはできません。つまり自分で異性と交際する可能性を制限している状態です。
 
 このバランスは個人の自由です。異性と交際する可能性を下げてでもありのままの自分を貫き通すか、異性と交際する可能性を上げるために自分を捨てるかは個人の判断です。
 
 恋愛難易度的には自分を捨ててモテると言われるテンプレになりきるのが一番簡単で、自分本来の姿だけで勝負するのが最難関となります。それゆえに恋愛を求める多くの大学生は皆同じ髪形、同じ服装、同じ体型なのです。マッチングアプリや婚活サイトで成功している人たちのプロフィールも皆似ています。これが自分を捨てるという事です。
 
 恋愛以外で顕著なのが就職活動です。面接でみんながリーダーを経験してきましたとか言うのと同じです。就職活動に一番リーダーが有利だからみんなリーダーを経験したと演じるのです。本来の自分はリーダーなんてやりたくもないにも関わらず、それが正解に一番近いからそうしているに過ぎません。これと同様です。

終わりに

 今回はありのままの自分を好きになって貰いたいという願望について書きました。本心からこう思っている人は一度自分の立ち回りを見直す必要があると思います。見直した結果、デメリットを考慮しそれでもありのままの自分を貫き通すと結論付けたのならばそれも良いと思います。しかし確実に恋愛の間口は狭くなってしまう事は忘れないでいて欲しいです。
 
 逆に全然交際できないと言う人は、一度自分を全て捨てて完璧にモテるテンプレを演じてみてはどうでしょうか。

 参考になった方はこの他にも恋愛初心者に向けた記事を書いていますので下記よりご覧ください。


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