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希望が!

「壁の男」を読んで以来、貫井徳郎さんの本から離れることができず、ひたすら読んでいます。貫井さんの小説の一番つらくて一番好きなところは、その話の主人公に一つの希望も与えず、少しの希望の兆しも一つ残らず潰していくところです。読後感が「辛い・・・」の一言。でも、濃い文章、暗い闇にとりこまれてしまい夢中です。「壁の男」を次男に勧めたら         「眉間が痛くなるほど辛い。でも読んでしまう」とのこと。北海道弁で言うと「読まさる」。決して自分の意志ではない感じ。

 「灰色の虹」冤罪で人生を棒にふらざるをえなくなった男に更に追い打ちをかけ、最後の一文は希望のように見えてそれはトドメでした・・
 「神のふたつの貌」神父様までもが神様に救われない世界。一体何をよりどころにすればいいの。
 「乱反射」マナーの悪い、犬の散歩をするおじさん。近所にいるのですがその人を見るたびにこの本を思い出して「こうなるぞ、こうなるぞ・・・」と恐怖に慄いています。今すぐマナー違反やめてほしい・・・・。
 「ドミノ倒し」一見コミカルなのですが、結局主人公と主人公の友達にも希望は見当たらず。

とまあ、読むたびに安定の「希望のなさ」。私自身もすでに光は求めず「やっぱり辛かった」と思う日々。

 そんな中読んだ「悪の芽」

 凄惨な無差別大量殺人事件。その犯人は自殺し動機は誰にもわからない。ただその犯人が小学校の頃、苛められていたことを知り、その苛めのきっかけを作った本人は自分が動機であることを確かめるように犯人の人生をたどっていく話でした。

 貫井さんの小説は、たぶんほぼ「死」からは免れられない。その「死」がどのように訪れるかは小説によって違うけれど、たいてい「事件」です。今回の事件は私が読む限りでは一番凄惨な事件でした。事件は凄惨、犯人はもういない、犯人の犯人たる所以を作ってしまったかもしれない主人公。もう
すでに希望はない。やっぱりね・・・と読んでいたら・・・。

 初めて希望が見えました。貫井さんの小説に出てくる主人公は名前も顔も違うのだろうけど、私の中では一貫して同じ人に見えて(頭の中では)、ずっと同じ苦しみを抱えているかのように見えていたので、やっと今回、その苦しみから少しだけ解放されたようにみえたのです。

 ネットに関して、私も常に感じていることをよくぞ言ってくれたと思って、そこに救いはないと私も思っているけれど、すごー--く長いスパンで希望を見出したお話でした。ネットに関しての疑問は別の日に書きたいと思います。
 

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