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昔の呼び名

今日のクロネコヤマトさんは次男が保育所で同級生だった子の
お母さんだった。
「とっち、元気に通ってる?」とその人は言った。
次男は地元ではなく少し離れた高校に通っているので
そういう風に言ったのだが次男の愛称が幼い日のままだったのでニヤニヤしてしまった。
つい先日、うちの患者さんとして来た方は次男の一個上だった子供の
お母さんで「この前、とっち見かけたよ」と言った。
どちらも「とっち」と呼んでくれたことで、あっという間に保育所のことが
蘇った。
 長男は2歳から通い始め、次男と末っ子の長女は「預けていいよー」の月齢だから、何ヶ月だったかな・・・ほんとにすっかり忘れてしまったけれど
首がすわってたかどうか、寝返りはしてたかどうか??そんなレベルで預けた。
「子供は母親と一緒にいる方がいい」とか言ったのは
長男の時に対応した市役所の若い男のみで、他の人にそんなことを言われたことはなかった。
私はたぶん働いていなければ、保育所がなければ、保育所の先生がいなければ子供を育てることはできなかったと思う。
母親と一緒にいた方がよかろうがなんだろうが、とにかく働いていないと
私のアイデンティティはなくなったし、同業者の夫と暮らしていく上で
彼だけ自分のしたかった仕事をするなんてことはとにかく許せなかった。
保育所代を払ったら、当時の私の稼ぎではマイナスになることも多々あったし「生活のために働いてるわけじゃないんでしょ?自己満足のためなんでしょ?」みたいに非難されたこともあったけれど
「うるせー。私が働いて子供育ててるんだ。なんの為だろうといいだろうが」と思い、何の迷いもなく保育所にお世話になった。

夫は理想論ばっかり並べるバカで途中まで何の戦力にもならなかったので
子育ての同士は夫ではない。
保育所のお母さん方、それが私の同士だ。
しょっちゅうお茶を飲んだりご飯を食べに行ったりしたわけでもない。保育所のお祭りや運動会で隣の席になったときに
いかにうちの子供がバカなのか、いかに夫が役に立たないかを話すぐらいだった。でも、冷えピタを貼った子供を脇にかかえながら病院ですれ違ったことや、病院の待合室で「入院のしおり」を持たされて
宙をみながら(たぶん仕事の算段をしている)待っているところを
お互いに見かけたりとか、
夜スーパーでお総菜を見ていたら後ろから「卵でとじちゃいな。卵でとじちゃったらそれでおかずになるから」って言われたこととか
くそ忙しい時に、お互いの夫が趣味のスポーツでアキレス腱を切りやがって悪態をつきながらお互いの子供を預かりあっこしたこととか
あっという間に思い出すことができる。

うちの子供を幼いときの愛称で呼んでくれる人たちがいて
いっぱいいっぱいだった私にいつも笑顔で「大丈夫」と言ってくれる
先生がいて、辛かったけれど楽しかったなーーと思う。

朝、車で出かけて「なんか忘れた」と思ったら
下二人の子供を乗せ忘れて保育所に行こうとして
思わずニヤニヤして家に戻ったら、長男が呆然とした顔で
弟と妹の手をつないで外で待っていたことも思い出してしまった。

「とっち」という呼び名で、思わず嬉しい朝になりました。

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