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「ポエトリー・ドッグス」斉藤 倫

犬のバーテンダーがカクテルと詩を出してくれるお話。
こんなカクテルはいかかでしょうか?今日はこのような詩はいかがですか?
とおすすめしてくれます。
私はバーと言う所に行ったことがないのであくまでもイメージですが
バーテンダーってとってもクール。
お客さんの気分に左右されずにそっと寄り添うようなお酒を出してくれる。
この犬のバーテンダーも同じで、お客さんはどうやら落ち込んだり
飲みすぎたり疲れたりしているようだけれど「さあ、どうですかね」ぐらいの相槌。

詩というのは言葉を直接操るものなのだろう。
小説も言葉を使うけれど、それで周りの風景や人間関係などを
説明してくれるが、詩は直接訴えてくる。
だからとってもわかりにくい。説明書きがないからだ。
「一体あんた何を言いたいの?」と、この本に出てくるランボーの詩は特に思った。
ワケワカラン詩はたくさんあったけれど、それでもやっぱり
とっつきやすいのは日本人が作った詩。
それはたぶん背景、空気、温度を共有できるからかな。
インディアンの詩というものがあって「1月、狼が空腹で遠吠えする月」
とかいうもので、想像はできるし理解もできるけれどあくまでも本の中のできごと。インディアンの人たちは身をもって知っている、それとなんとなく想像できるというのは大分違う。
与謝野寛が書いた友達が死ぬ詩などは、なんとなく部屋の暗さと狭さが
手に取るようにわかり共感できた。

犬がバーテンダーで詩を紹介する話は15夜まであり
お客さんである主人公と犬の会話で、なんとなく主人公が
最近犬も友人も亡くして仕事も辛くて相当参っていることがわかる。
もしかして、自分の犬死んだんじゃないでしょうね?という描写が
少しずつ浮かびあがってくる。
私は動物が、特にペットが死ぬ話は観たり聞いたり読んだりしないようにしているので、最初に犬が出てくるシーンがあると
ネタバレを読んで犬が死なないことを確認してからじゃないと読まないのだけれど、まさかこの詩を出す犬の話で犬が死ぬことを匂わしてくるとは思わなかった・・・油断してしまった・・。

夏目漱石の夢十夜が好きだった。大学時代、7日間山に入り続けた夏
時折夢か現かみたいな夜を過ごした。疲れて暑くて臭くて汚かった。
代り映えのしない夕ご飯を食べたあとは、もう1週間も共に過ごす仲間と
話すこともなく下山したら何を食べるか、お風呂が先かご飯が先かをずっと考えていた。夜の夢で見る食事のメニューが日に日にリアルになり、起きた時にがっかりした。「こんな夢を見た」と毎日メモをして下山してから文集に「夢十夜」のタイトルで記録を書いた。

今回の本も夢十夜みたいだった。夢か現か。現が少しずつ迫ってきて
主人公はやっと今の場所から立ち去ることを決める。
犬のバーテンダーは美味しいカクテルを作り続けてくれる。


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