見出し画像

不登校の原因

原因はわからないし、一つではないかも。今行けないのはさらに、不登校期間が長引いたことによるものかも。

………

とは思うのですが!


気持ちの余裕が生まれてきた今、どうしていくのが本人にとっていいのかを探っていきたい!

どうやって動いていくか、動くために何をするか。
それは学校に戻るでもいいし、家で何かやり始めるでもいいのですが
なんでもいいから娘の世界を広げていきたい。

家にこもっていてはお気に入りの服に出会えないよ。
洋服で言えば今はネット通販があるけれども!
もちろんネットでも出会いがあるかもしれないけれども!
素敵なお店とかさー、素敵な風景とかさー、自分から動かないと世界がどんどん狭まっていくじゃない?

ネットだっていいけど!

そこからやっぱり行ってみたいところが出来たり
やってみたいことを見つけたり
ネットから世界を広げたっていいんだけどね。


で、娘の場合、少なからず学校に戻りたいという気持ちもあるのです。
本当は少し違うのかもしれないけれど、頑張っていた自分がまぶしい。他の友達のように学校で勉強や部活を一生懸命やっていた頃に戻りたい。
でも戻れない。
今では長引いた不登校期間によってさらに戻りづらい。

行くのが怖くなってしまったきっかけを探っていると、やっぱり友達関係が大きいと思いました。

最初に不登校のはじまりで書いたように、小学生の時のお友達とのいざこざで傷ついた心がやっぱりまだ完治していないのだろうと思います。

ただ、そのお友達(aちゃんとします)と卒業時に一応和解していたり、学校で話したとか、手紙のやりとりなどを聞いているので、本当の所どうなんだろうと思っていました。

2年生になり、aちゃんと同じクラスになったので、そのことについて登校しづらいのではないかと聞いてみました。
娘は最初、そんなことはないと言っていました。
でも当時、傷ついたでしょう?急に仲の良かった友達に冷たい態度を取られたりしたら、とてもつらかったはず。と言うと、娘はぼそぼそと話し始めました。

しょうがないよ。。仲良くしたくて色々真似したりしたのがうざかったんだと思う。でも今思うとつらいことがいくつもあった。
機嫌が悪いと、話しかけても無視されたり、私はスマホもiパッドも持っていなかったから、同じゲームができなかった。
だから、私が一緒の時は公園で遊んで、ほかの二人だけの時は家でゲームしたりしてた。
ある日もう一人のbちゃんの家の前で、一応聞かれたの、今日遊べる?って。
二人でbちゃんの家で遊ぶつもりだったのわかったから、遊べたけど、今日は遊べないって言ったの。そしたらあからさまに喜んでた。とても悲しかった。

当時、娘は幼くて、ほかの二人はしっかりしていてお姉さんでした。勉強もできておしゃれもして、しっかりしているなぁと思っていました。
娘はなんとなくわかっていても、客観的に友達の事や自分の事を見ることはまだできませんでした。
マイペースな娘が鬱陶しかったのは想像に難くありません。
そして突然の冷たい態度。本人からすると突然でもないのかもしれません。
最初は今日は機嫌が悪かったのかも。などとなんとか頑張って話しかけたりしていました。でもずっとは続けられません。
娘も落ち込むようになりました。
とても仲のいい3人だったので、先生の目にも様子がおかしいのはあきらか。若い先生は3人を呼び出してどうしたんだ?と3人で話し合うようにと放課後などに3人の話し合いの場を設けました。
するとaちゃんは 自分が全部悪い。二人ともと距離を置きたい。というようなことを言ったようです。
??
aちゃんが思春期で悩みもあったことを娘は知っているので、お手紙を書きました。前みたいに仲良くしたいし、悩みがあるなら力になりたいって。それもうざかったのかも。
悩みもなさそうな、幼い娘に言われたくなかったのかもしれないし、全然もっと違う内容で違う受け取り方をしたのかもしれません。
娘からの話しか私は知らないので、娘の落ち度がどの程度か、あったのかなかったのかもわかりません。

結局関係は修復できず、aちゃんはほかのクラスメイトとは普通に接していても、二人(bちゃんの話についてはあまりわからないのですが)と会った時はあからさまに態度を硬化させたり無視したりして、娘はわけがわからず、別に仲良くできなくてもいいけど、ほかのクラスメイトと同じように挨拶とか普通に接して欲しい。と泣くようになりました。
学校に行きたくないと言い出したのはそのころです。
どれも娘からの話なので、aちゃんbちゃんにしてみれば全然違う話になってくるのかもしれません。

その話をしながら、娘は泣きました。
別にaちゃんのことをそんなに嫌いだとか、許せないという気持ちはないのに、なんで泣けるんだろ。と言いながら。
当時の幼い自分に、今になってやっと、辛かったね、悲しかったね、と寄り添うことが出来たのかも?

私も泣きますよそりゃぁ。
当時、学校に行きたくないと言われ焦ってあれこれ提案してみたけれど、実のところ娘に寄り添えていなかったのではないか。
もっとちゃんと話を聞いてあげられたのではないかって。

私がトマス・ゴードンの親業を読んだのはその後でした。もし先に読んでいたら・・・でも中学の本格不登校前に読んでいたからよしとします。
(あんまり実践できておりませんが💦)

でも先生の、卒業で全部丸く収まってすべて解決!みたいなのが嫌だったな。あれで先生全員に対しての不信感がわいた。と娘。

あの時結局親は介入しなかったのですが、大人の対応は考えさせられます。
いつもどうしたらいいのか、どうしたらよかったのか悩んでばかり。
先生も一生懸命やってくれたのだと思います。
でもうまくいかなかった。

今回当時のことについていろいろと話せてよかった。
自分を見つめ、自分を知り、相手を知る。
今は大人になる大事な時です。
学校に行けなくなったのはちょっと痛かったけれど、(乗り越えた人たちはみんな平気平気って言うけど、まだ私はそんなに開き直れません)きっとその分ものすごく大切なことを学んでいるのに違いない!(と思い込まなければやってらんねぇ!)

でも問題はこれから。

私は見守るということを学んでいる最中です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?