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わたしのこと

娘が不登校になり、その事をいろんな人と話すにつれ
娘の母である私は中学生の時、どうだった?
と聞かれるようになりました。

私がどんな中学生だったか。。。
正直それはまったく参考にならないと思っていたのですが、前回書いた通り私の課題を洗い出さなくてはいけないのかもしれないと思うようになりました。

私が小中学生の多感な時期何を考えていたか。なぜ参考にならないのか。

それは私が健全な小中学生ではなかったからです。

子供のころ、私は常に消え去りたいと思っていました。

私は本当に暗い子供で、今がこんなに辛いのにこの先もっと辛いことがあるかもしれないなんてどうやって生きていけるのか?何のために生きていくのか?
常に重苦しく常に真っ暗闇でしたし、だれにも理解されないと思っていたし
やりたいことも、なりたいものもなく、毎日が辛く、生きにくさを感じていました。
いやもう、口を開けば〇にたい、心臓よ止まれ!夜はもう二度と目覚めませんように、と祈りながら眠りにつくみたいな。

友達もいないことはなかったかと思いますが、おそらくその時に誰かが私に死んでほしくないと言っても何も響きませんでした。とにかくこの世から消えてなくなりたい。地球爆発しろ!と思っていました。

私自身は学校はほぼ皆勤で通えていました。
時代もありますが、私の家では、少々の熱があろうと休むことは許されませんでした。
悲しいかな、体も大変丈夫でした。

でもそれ以上に、家の居心地が悪かったというのもあったかもしれません。

なぜ思春期の私が真っ暗闇だったかというと、お察しかどうかわかりませんが、機能不全家族だったからです。

私の父親はDV夫でした。母は共依存です。犠牲になったのは子供たちでした。
特に兄は出来が良かった為、余計に負荷がかかってしまったと思います。

夜中に怒号とともにガシャーン!と何かが割れるような音、泣くような母の抵抗の声、そしてバタンと母が出て行く音、遠ざかるエンジンの音。
小さな頃から、突然始まる父親の怒号に身を潜め、母は常に父親を優先し、父はそれでも気に入らないことがあると物を投げたりテーブルをひっくり返したり。
おまけに両方とも片づけられないんです。
昭和の一徹な父ですから、当然家事育児は母が一手に引き受けなければなりません。しかし父の要求に応えながらの家事育児はおろそかになることも多く、家の中はひどいありさまでした。
私自身が直接手をあげられることはあまりなかった(思い切り殴られたこともなくはなかった)のですが、母は度々ケガもしています。書きにくいこともたくさん。

アクティブで、いろいろなところに連れて行ってもらったし、お金に困ったことはありません(それも微妙だけど)

父には父の、母には母の生い立ちがあり、事情があり、今でこそ理解したいと思っていますが、子供の頃は、死にたい!と、殺す!が螺旋階段のように永遠に続くイメージでした。
もう、頼むから離婚してくれと。手紙を書いたこともあります。
確か親は子供のために離婚はできないみたいなことを言っていましたが
はぁ?と思いましたね。
私たちの為を思うなら離婚してほしい。いやまじで!!

というわけで、脳内暗黒過ぎてお話にならないw
今や夫や子供にもネタとしてちょこちょこ提供している次第なのですが、年を取ってまるくなっている現在の両親しか知らない夫と子供たちには、この家でそんなことがあったなんて信じられない!という反応です。
若干癖が強いのも感じ取ってはいるようですが、孫にはいいおじいちゃんおばあちゃんなんでしょう。


今私はお陰さまで優しい夫と子供たちに恵まれ、穏やかで楽しい家庭を築くことができました。
色々な家庭があり、みんな様々な事情を抱えているんだ・・と高校生になって視界が開け、気持ちがなんとなく落ち着いてきたのは、30歳を過ぎて夫と出会ってからです。

私がどうやってここまで来たかと言えば、親が心を入れ替え、私のために色々と手を尽くした結果闇から抜けられた。というわけではもちろんありません。

たくさんの出会いと経験によって、物の見方が変わったにすぎないのです。
今の私がこうであるのも、その経験によってなのですから、今となっては私の一部であり、おいそれと否定できるものではないのです。

だから、娘も自分で自分の問題に向き合い乗り越えていかなければならないし、乗り越えて行けるはずです。

それなのに私は娘を小さな自分と重ね合わせ、なんとか助けてやりたい!と、自分の問題と混同してやたらに手を出そうとしているのです。

ひょっとすると、娘の邪魔をしているのは私自身なのかもしれません。
私がとてもつらかったので、娘にそんな思いをして欲しくない!!

・・・あれ?私って両親を許せてないのかな?
うん、いや、許さなくてもいいよね。
許す必要ある?
母に聞いたことがあります。同じことを孫に体験させられるかって。
「とんでもない!」というお答えでした。

まあ、行為は許さないが人間は許すといったところでしょうか。
たまに最近でも過去を忘れた言動をされると、イラッとしちゃいますけどね。離れているからあまり気にしないでいられるところもあります。

今思うと、私が小さい頃父の周りにいた人たちの中にも
通りすがりの人の中にも、私を気にかけてくれた人がいたんだろうなぁ。
酒を飲んで暴れる父親の陰で大人の顔色をうかがうこどもの将来を憂う人がきっといたに違いない、と大人になって表情の暗い子供を見て胸が苦しくなってしまう私は思います。

直接何か声をかけることはなくても、何かをしてくれなくても
何となく気にかけてくれたり、やさしいまなざしだったり、そうしたささやかな人のやさしさで、私は今生きているんだと思うのです。

◇◇◇

え、やっぱりこういう人間が子育てしているから、娘が不登校になるの?
そう言われちゃうと、八方塞がりになってしまいます。
そうなのかもしれない。そうじゃないかもしれない。
自分自身に対しても、否定と肯定の繰り返しで正直もう疲れました。

だんだんと結婚、出産、子育てなど、人生経験を重ねていくにつれ
自分の好きなところが見えてこなくもないわけで、それに私と結婚した夫や
私の血を受け継いだ子供たちに対しての責任もあるわけで。
自分を否定することは周りも否定することになります。

だから私は自分をまるっと肯定してもいいんじゃないかと、
ちょっとずつ思えている今日この頃なわけで。
自分も周りも、そのままでいいんじゃないかって
思ったりするわけで。

がんばろっと。

なあんて思ったりするわけで。

過去がどうであろうと、
今の私は明るい光の世界に生きていたいわけなのです。


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