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がむしゃらに頑張ればそこそこいける。

中学時代の部活動でも振り返ってみるかという話です。

私はもとよりスポーツが好きでも得意でもありません。得意ではないので好きではないのかもしれません。「アメトーーク!」の「運動神経悪い芸人」は面白いけれど心の底から笑うことができず「わかる……そうなるよな……」と思いながら観ています。「運動神経悪いnoter」があれば出られる可能性は十分にありそうです。

「運動神経悪い芸人」を観ていて興味深いのは、学生時代に嗜んでいた競技に限っては、人並みにプレイできたりするもんなんだなということで、私も例には漏れません。テニスのサーブが打てない私でも、剣道であれば人並みの動きができると思います。

剣道部でした。私の中学校は入学後に半強制的に部活を決めなければなりませんでした。親の希望で運動部縛りで。紆余曲折を経て、最終的にはだいたい「るろうに剣心が流行っていたから」という理由で友人らと剣道部に入部することになりました。竹刀で牙突をやるのは通過儀礼です。

「どの部に入部するのが正解か」なんて絶対的なものはありませんが、多感な時期の部活動をどこでどう過ごすかは、人生にそれなりに大きな影響を与えるんじゃないかと思っています。

私はタイトルのとおり「がむしゃらに頑張ればそこそこいけるんだ」という成功体験を得ることができました。

小学校の体育の授業で剣道ありましたか? 私の小学校ではなかったので、サッカーやバスケットボールなどのメジャーなスポーツとは異なり、習い事で道場に通っていない限りは触れることのない競技でした。

小学校では触れないけれど中学校の部活には存在する競技なので新入部員の剣道の腕前はといえば「経験者」が頭3つくらい飛び抜けていて、あとはどんぐりの背比べのようなものです。運動神経が良くても悪くても同じようなスタートラインから始めることになります。まず胴の紐が結べない。

腕前は運動神経を含めた先天的なセンスと、練習で身につける後天的な技量によって決まります、たぶん。言わば英才教育を受けている「経験者」には手も足も出ない一方で、同じようなスタートラインから始めて、部活を嗜む3年程度の期間であれば、後天的な技量で先天的なセンスをある程度埋め合わせることができるのです。

もちろんその分、頑張りました。先天的なセンスがないと出足は遅れがちで、試合をしても負けこんでしまいます。それでもがむしゃらに頑張れたのは、ある日、試合で先輩から1本を奪い取り、勝利を収めることができたから。当時「まさかあいつが……」と場がざわついていたのを覚えています。まぐれかもしれないけれど、金星でした。まぐれかもしれないけれど、勝てることがあるんだという経験がよかったです。勝ちの快感を覚えてからは楽しくなって、頑張って頑張って、最後の大会はレギュラーに選んでもらうことができました。勝率もあがってきていたので、この頃はもう「まさかあいつが……」という感じではなかったように思います。

大会では勝てませんでした。引き分けでした。それでも対戦相手が相手校のいちばんやべぇヤツだったので、引き分けに抑え込めたのならいい仕事ができたんじゃないかと思っています。「経験者」はやっぱりすごくて、同じ重さの竹刀を振っているとは思えない動きをするんですよね。猛攻を凌ぐので精一杯でした。

「がむしゃらに頑張ればそこそこいける」反面、そこそこまでしかいけなくて、どこかで壁にぶちあたります。後天的な技量だけでは埋めきれない壁がそこにはあるのです、残酷だけれども。高校も頑張りましたが補欠どまりでした。

でも、それでいいんじゃないかと思っています。

剣道で――その道1本で食っていこうとするならば、そこそこ程度で満足していちゃいけないけれど、そうじゃなければ自分が満足できる範囲でそこそこできればいいんじゃないかと。

人生これまで生きてきて、だいたいはそこそこで、或いはそこそこを組み合わせることで乗り切れることがわかってきました。だったら何だってやってみたらいい。がむしゃらに頑張ってみれば、得意じゃなくてもそこそこまでは辿り着けるはずなのだから。

それが、スポーツから私が学んだこと。

余談
私が1年生で入部したころ、3年生の雄姿はめちゃくちゃカッコよくて、どこかアイドル的な人気があったように思います。憧れの先輩から試合で使ったサイン入り竹刀もらっちゃったもんな……。先輩、なんで自分のそれっぽいサインを持っていたんだろうと思うとじわじわくるものもあるのだけれど。多感な時期だったということで。

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